2019年4月6日土曜日

千束の池袈裟懸松、金杉橋芝浦、名所江戸百景

冬 110景 千束の池袈裟懸松

1858年
2019年

これは、"千束池から袈裟懸松を望む"と読んで下さい。

何故、ここが名所なのか。

タイトルの通り、袈裟懸松が名物だったわけですが、では誰が松に袈裟を懸けたのか。

日蓮さんなんです。

1282年9月8日、常陸国で湯治する為、身延山を出発した日蓮さんは、ここ洗足池の地で一休みします。その際、この松に袈裟を懸けたのです。

因みに、この辺りは"千束"という地名なんですが、"洗足"池という字を当てているのは、この時、日蓮さんが足を洗ったからと言われています。

その後、日蓮さんは、体調が悪化し、結局、この地で御入滅されました。これがキッカケとなって開かれたのが、池上本門寺です。だから、大本山なんですね。

こういうストーリーがある袈裟懸松なので、名物となり、名所となった、と、こういう訳です。

が、私はもう一つ理由があると思ってます。

それが、これです。

秋 80景 金杉橋芝浦

1858年
2019年

これは、"金杉橋から芝浦を望む"と読みます。

これは、池上本門寺での御会式に向かう日蓮宗の信者御一行様を描いたものです。

知らない人が見たら何かのお祭り?!と思いますよね?

御会式は、日蓮宗に限ったことではないんですが、あまりにも、日蓮宗の御会式が有名になった為、御会式 = 日蓮宗という認識になっているようですが、元々は仏教の大事なイベントのことで、例えば、お釈迦様の誕生日である4/8は、灌仏会という御会式です。

日蓮さんが御入滅された10/13も御会式が執り行われ、御入滅の地、池上本門寺では、それはそれは盛大に執り行われます。

日蓮宗は、お題目を唱えることを重視しますから、"南無妙法蓮華経"と、経典のタイトルをひたすら唱えます。必然、リズムとなり、太鼓なども加わって、まるで、お祭りのお囃子のようになります。なので、祭り好きの江戸庶民のハートを射抜いたんでしょう。大人気となりました。

それを描いたのが、この80景なんです。

金杉橋から池上本門寺への想定ルート。上野青ポイントが金杉橋、下の青ポイントが池上本門寺です。江戸期東海道で品川宿まで行き、常行寺の所で西へ折れ延喜式古代東海道に入ります。
前々回の、"続き、蒲田、羽田、大森、名所江戸百景"の時に言いましたが、鈴ヶ森刑場を迂回した場合、ここが切り替え点だと思われます。

日蓮さんが湯治の為、この地を通り、洗足池で袈裟を松に懸け、足を洗い、御入滅なされ、江戸庶民なら誰もが知る、それはそれは盛大な御会式が執り行われるようになった。だから名所なんですね。

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もう1つ面白い話があると思ってるんですが。

地形図

これは先ほどの明治初期作図迅速測図と同じエリアを地形図で表したものです。

上の赤は洗足池、下の赤は池上氏館です。なので、日蓮さんは、赤ルート、多摩川を渡って今の中原街道、これは延喜式古代東海道ですが、ここを行き、洗足池に達し、体調が悪くなったので、尾根伝いに南下して池上氏館に行ったと思われます。

さて、黒ポイントですが、右が瀧泉寺、左が円融寺です。目黒の名所江戸百景の時にもご紹介しましたが、共に慈覚大師円仁さんが開いたお寺です。そうです、ここは、850年頃から、天台宗の濃いエリアだったんです。

天台宗の濃いエリアの南側に、日蓮さん御入滅によって、日蓮宗の濃いエリアが出来ました。

先ほどの、日蓮さんの足跡を池上氏館から逆に辿ってみてください。洗足池に着いた後、緑のルートで、やはり、尾根伝いに行きますと、到着するのが、元法服寺、後法華寺、今円融寺です(もう1本の緑ルートはバリエーションルートです。)。

円融寺

日蓮さん御入滅の翌年、1283年に、早速、日蓮宗の中老僧であった日源さんが、このルートを行き、法服寺を天台宗から日蓮宗に改宗させたんです。日源さんご自身が、元天台宗の僧だったんですが、日蓮さんの説教を聞いて、日蓮さんの弟子になったんです。それを繰り返したわけですね。

右側の緑ルート、バリエーションルートですが、これを行き、夫婦坂から荏原町駅の方に行くと法連寺がありますが、ここは、日蓮宗の六老僧日朗によって教化された領主荏原氏が、その子、徳次郎を出家させ開山したお寺です。

日蓮宗は、尾根伝いにその勢力を伸ばしていったんですね。

尚、このルートは、そのまま北上を続けると、瀧泉寺に辿り着きます。狙ってたんですかね。。。

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