2020年1月14日火曜日

谷戸巡り、稲城南山、坂浜、黒川、小野路

前回久し振りのサイクリングで、久し振りの里山だったから、火が点いちゃったのか、またしても行ってきてしまいました。

今回はクロモリロードではなくシラス2005年モデルにシクロタイヤを嵌めたなんちゃってフルリジットMTBなので、トレイル中心にコース設定です。


結果、谷戸巡りのようになりました。

いつものようなテーマは無いんですが、記録として、また、行きたいなという人のガイドになればと思い、投稿します。

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まずはいつものように旧百村、現稲城南山に行きました。

恒例の切り通し

谷戸ではありませんが、"大道"はこの有り様です。


まぁでも、里山やトレイルをただ楽しませてもらってるだけの人間にとやかく言う権利は無いですかね。地主の方は税金等で大変なようですから。

この先南方向は過去ご紹介しているように通行止めなんですが、、、

過去の写真

、、、ゲートで封鎖されている30m程西側には封鎖されていない尾根のシングルトラックがあり、チャリは難しそうだったので徒歩で行ってみた所、ナント!薄葉谷戸の源流域でした。

画面真ん中に水溜まりが

場所はこの辺り

戻り、いつものランチポイントに。ここからは、清田谷戸と薄葉谷戸、薄葉谷戸の向こうには愛宕山の尾根(現駒沢学園), 三沢川の谷、その向こうの丘陵が見える眺望のポイントです。一点、残念なのは、清田谷戸と薄葉谷戸の間の尾根がご覧のように削られてしまっていること。これさえ無ければ奇跡の絶景だと思うんですが。仕方無いですね。



南山を降り、清田谷戸には入らず薄葉谷戸に突入です。清田谷戸はGoogleMapsを航空写真で見れば分かるんですが、工事中のようで引っ切り無しに工事車両も行き来しているし、癒しも何も無さそうだからです。

谷戸最奥まで行くと、先程大道からアプローチした源流域へのパスがありました。行きませんでしたけど。さっき行ったし。
これは帰りに撮った谷戸っぽい風景。いやぁでも休耕田なんでしょうね。

薄葉谷戸を後にし、次は清水谷戸ですが、、、


、、、"車"の通行は・・・だったので行こうかと思いましたが、少し見えにくいですが、この先に、"事業予定地"の看板もあり、断念しました。ここは期待してたんですけど、事前の情報収集では滝やきれいな源流もあるし、西隣の尾根に抜けられそうということで。

その尾根に向かいます。鶴川街道には出ず直接尾根に取り付くこんな素敵な迅速測図では徒歩道で。

一応、アスファルト敷ですね。かなりの経年劣化が見られますが。あと、こうしてみると竹が悲惨なことになってましたね。秋の台風でしょう。まま、というのもらしくて良いですね。

で、到着したのはここです。


現在地右に支流の谷戸がありますね。この谷戸に下りるトレイルがあったので下りてみた所です。


この支谷戸の向こうに見える尾根を越えたら清水谷戸の本流があり、滝などもあるんでしょうが、御覧の通り柵もありで諦めました。

高勝寺通りから天神通り、学園通りと行き、西小田良谷戸へ行きますが、残念ながら中に入れず外から眺めるだけでしたが、きれいでしたね。現役の谷戸なんだと思います。

ホント、こういう景色を見ると日本らしいなと思います。日本は稲作だから川がある所に住むんですよね。一方、欧米は教会の周りに住みます。教会はその街で最も高い所に立ちますから、山なんですね。ツールドフランスなんか見るとホントそう思います。


しかし、尾根を上がった小田良はしょうがないんですけどこういう感じです。


さ、気を取り直して多摩郡と都築郡の郡境部のトレイルを行きます。

平嶽、向こうに見える尾根が郡境尾根
平嶽から郡境尾根に登るトレイル、ここでがさこそと音が。狸かな?
ちょっと分かりづらいですが、この藪が郡境尾根道で迅速測図では荷車道です。以前、行ったことがありますが、超adventureでした。もう行きたくないぐらい。
黒川に抜けるトレイル、前回クロモリロードの時は押しでしたが今回は乗車です!!!

今は切り通されてますが、嘗ては婆々尾根と呼ばれた尾根を、川崎市黒川青少年野外活動センターから入り、真光寺公園に抜けていきますが、これまで無くなったと諦めていた古道が見つかりましたが、結局通行止めでした。


写真1, 真光寺公園のフェンスの直ぐ向こうを行く。川崎市黒川青少年野外活動センターから来ると、公園に入る直前で、公園には入らず、そのまま行く道がこれ(写真奥が公園入口側)だが、鶴川街道に出る所で出られない。
写真2

気を取り直して布田道に入ります。

久々の布田道

別所に抜けたら笠松谷戸を上り、恵泉女学園まで行き、そこから折り返しで笠松谷戸と一本木谷戸との間の尾根道を行きます。迅速測図では荷車道ですが、シングルトラックでした。ここが最高!!!でした。本日のハイライトです。

恵泉女学園から折り返して直ぐ。眼下に見下ろすは笠松谷戸。
鎌倉街道上道と分かれて直ぐの所。ここは幅一間の荷車道ですね。
鉄塔脇、ここからご覧の通りのシングルトラックの下りで、一気に一本木谷戸まで下れます。さぁ、行きますよ!!!
最高!!!なんですけど!!!
一本木谷戸に降り立ちました。

この後、小野路宿を抜けて小野路のトレイル巡りの予定でしたが、御覧の通り日も暮れかけ、ここから1.5H程自走で掛かりますから本日はこの辺でお開きとしました。大変満足でした。やっぱ、山サイ良いですね。

2020年1月6日月曜日

里山巡り、稲城南山~平尾~黒川〜小野路〜真光寺〜寺家

ここの所、出張続きだったのと、なんと言っても台風で、チャリに行けてない。

次回は渡来の道シリーズの第4弾で、奥多摩に行く予定で、紅葉も楽しみにしてたんですが、暫く断水状態だったし、通行止めも多く、生活舗装道路でもそうなんだから、山道なんて言わずもがな。そうこうしている内に時期も過ぎてしまいました。

そろそろ落ち着いたから奥多摩に行こうと思ってるんですが、その前にもう少し軽目のサイクリングで足を慣らさねば。

しかし、もう本当にこの辺りは行き尽くして、同じ所はモチベーションが上がりません。そこで、同じ所でもモチベーションが上がるよう、大好きな里山癒やしルートを構築しようと思いました。

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まずは稲城南山に残る鎌倉道を行きます。

歴史的農業環境閲覧システムより迅速測図(1880~1886)、稲城南山、旧村名武蔵国多磨郡百村

ほぼ真ん中を縦に走ってる片実線片点線、これは当時の地図記号では村道ですが、この道が鎌倉道七曲ルートです。その西の、グニャグニャと2回した後、二股に別れその後再び合流する一本実線(当時の地図記号では荷車道)が、鎌倉道大道ルートです。

下図は上図と全く同じレイアウトの現代地図ですが、下図のように、鎌倉道七曲ルートは開発の為、消失してしまっていますが、、、

現代地図、稲城南山。ちょっと分かりづらいかもしれませんが、一番東(右)の一本実線(H14式地図記号では軽車道)が鎌倉道大道ルートです。その東に何も無いということは、つまり、七曲ルートは消失しているということです。

、、、大道ルートは、途中までですが、比較的良好に残ってくれています。

山に入って直ぐの切り通し

その先。朝の時間帯だったので、東からの朝日が当たって、落ち葉もフカフカで、最高に癒されました。

下の写真は南~西周りで南山山裾を周回し稲城駅方面に戻っていく迅速測図一本実線ルートです。

この写真の右部、小高い所が南山三角点126m地点です。この先、明るくなってますが、南西側が開けてて眺望が良くベンチもあって超お勧めのランチポイントです。

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津久井道を行き、坂浜から平尾を経由し、平尾から多摩郡・都築郡郡境尾根から黒川に抜けましたが、ここに迅速測図で一本点線(徒歩道)だったシングルトラックが残ってました。

結構下ってるのでロードでは乗車不可、押しで行きました。

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黒川に入ります。

歴史的農業環境閲覧システムより


まずは総鎮守汁守神社。


創建年詳らかならずも、行基作の本地仏不動明王像が御神体とのこと。もしかしたら行基の時代、1300年前まで遡れるかもしれません。

それともう1つ、汁守神社の面白いのはその名前で、大國魂神社の膳部・汁物を担当していたことから、この名となったということです。汁物があるなら・・・

さて、そのまま村道を行き、毘沙門天堂に行きます。ここは昔金剛寺という真言の寺があって、そこに行基作の毘沙門天像が祀られていたそうです。

行基で繋がりましたね、汁守神社と。

近所の寺社間で、伝承が混ざってしまう例は少なくなく、汁守神社と毘沙門天堂もその例かもしれませんが、何れにせよ、ここ黒川の地は、上手くすれば行基の時代、つまり、1300年前まで遡れる可能性があります。

金剛寺は廃寺となりましたが、毘沙門天像はその後毘沙門天堂で祀られていたのですが、H7年になんと盗まれてしまったそうです。今あるのは新しいもの。

毘沙門天なのに鳥居、首がもがれた六地蔵は廃仏毀釈の爪跡か。現場に行くと、何とも言えない独特の空気感があります、ここは。

村道は今よこやまの道と呼ばれる一本実線の尾根道に交わり、それを行きます。国士館から谷戸に下りる迅速測図一本実線を行き、再び黒川の谷戸に戻り、都築郡・多摩郡郡境尾根を経由して小野路に向かいます。写真は撮れませんでしたが、ここで狸に遭遇しました。休んでた所に私が行ったものだから、ビックリして山に逃げて行きました。スマン!

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小野路ではまず東光寺に向かいます。ここからの眺望が素晴らしいので。

遠く霊峰大山を望み、雲が無ければその右に富士山。眼下には別所の町並みが見えます。

別所という地名に東光寺ですから、東北から俘囚として連れてこられた民がここに住まわされ、産鉄していたのかもしれません。そう言えば東隣は今行った、"黒川"。"黒"は、"クロガネ(鉄)"から来ている産鉄地名です。黒川は三沢川の源流域ですが、その三沢川は下写真のように水酸化鉄を多く含む川でした。やはり、ここで産鉄していたのではないでしょうか。

オレンジ色が水酸化鉄。ここの米はミネラル豊富で旨い筈!

東光寺から軍事戦略鎌倉道を南下します。下堤では掘割の鎌倉道が残っています。


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鶴見川の谷まで下ったら大蔵ですが、ここから真光寺まで村道を上がっていきます(坂浜から平尾への上りもキツカッタんですがここも負けず劣らずキツカッタ!!!)。

歴史的農業環境閲覧システムより


ここには飯守神社があります。


黒川には汁守神社、布田道となっている尾根を越えた真光寺には飯守神社があるのです。

こちらは1650年創建が明らかですが、汁守に対して飯守と、ここら辺りは大國魂神社の膳部を担当していたということですが、何故、この地だったんでしょうね。確かに、府中へは遠くはないですが、ここと府中の間には幾らでも膳部となり得る地があったと思うんですが。不思議です。

飯守神社の後は、先程の下堤の軍事戦略鎌倉道まで再び上り返します。登り切った所は古道5差路になっていて、そこから南東に魅力的な一本点線徒歩道の尾根道があったからです。

しかし実走してみると大した眺望は無く、あっという間に鶴川小学校まで来たんですが、そこにとっても素敵な通学路がありました。

そう言えばここは以前来たことがありました

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真光寺・大蔵間の村道を再び大蔵まで戻り、大蔵、能ヶ谷を経由し三輪に入ります。

三輪の高蔵寺は桜の季節とってもきれいですが、さすがにこの季節は・・・と思っていたら、蝋梅の蕾が膨らんでました。


ここ三輪は花の季節、とっても良い所です。お勧めです。

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三輪から多摩郡・都築郡郡境尾根を越え、寺家に入ります。

歴史的農業環境閲覧システムより


現代地図で、鶴川女子短大と書いてある尾根。この尾根の東西に谷戸があり、そこに村道が走ってます。良く見ると、東側の村道は、尾根の所でクイっと西に折れています。つまり、西側の方がメインの道っぽい。と、いうことで今回はここを西側の村道から探りに行きました。

まず、そのまま南下する道は通行止め。こどもの国の敷地なんですかね。東の村道にクイッと行っている道は、、、


、、、途中までは道が通っていたんですが、100m進んだ所で私有地となってしまい進めず。結局東の村道に移り、切り通しで尾根を越え、寺家に入りました。


切り通しはかなりの迫力でした。でも迅速測図を見ると、切り通し記号は無いし、東西に尾根を行く道も通っているから、もしかしたら1880~1886年当時は、この切り通しは無かったかもしれません。


寺家の谷戸はいつものように静かで(若干車が多いですが)癒されました。

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本当はこの後鉄と早野の間の尾根、この尾根道は足利尊氏伝承があるんですが、ここを行き、王禅寺、石川と行く予定だったんですが、確かに、癒されはしたんですが、上りが多く、久々のサイクリングということもあって、足腰が限界となり、津久井道に出て家へと帰ったのでした。でも津久井道も弘法の松の辺りまでの上りは大変キツカッタ!!!です。

癒やされはしましたが、体力的にキツカッタ!久々のサイクリングでした。