2018年4月30日月曜日

武相国境道、番外編。世田谷区代田のダイダラボッチ伝説を追う。

私は世田谷区代田に住んでいる。

ここの所、武相国境道の産鉄地名を追っているが、そう言えば、我が地元は"代田"じゃないか。と、いうことで、GWの一瞬の隙きを突いてご近所explore, 世田谷区代田のダイダラボッチ伝説を追おうと思う。

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ダイダラボッチの"ダイダラ"は、"タタラ(鑪)"から来ているという話がある。

あるいは、ダイダラボッチは一つ目、片足で、製鉄では火の温度が極めて重要で、三日三晩目を離してはならず、失明する者も多かったこと、火力を保つ為に風を送る鞴は片足で踏み付けて風を作るので足が悪くなる者も多かったことから、産鉄地ではダイダラボッチを祭っていたとも言われている。

このように、ダイダラボッチは産鉄と関係が深そうだが、一方で、巨人伝説としてのダイダラボッチもある。

産鉄と巨人がどう、繋がっているのか。

製鉄には大量の炭が必要で、山が禿山になるほどだと言い、その様が巨人による仕業だと言われたり、製鉄技術は秘儀だったから、周辺住民にしてみれば、山谷に籠もって、片目片足の人達が、何をしてるのかと思ったら鉄を作り出していて、何とも不思議というか、神秘的というか、そういったことが、架空の存在である巨人と結びついたのか。

いずれにせよ、産鉄と巨人は明確な結び付きの論が無いようだ。

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世田谷区代田の地名の由来はダイダラボッチから来ているらしく、ダイダラボッチの足跡があるとのことだ。つまり、巨人伝説の方だ。

代田の古地図、明治初期

この古地図は明治13年頃のものだが、画面上、東西方向にジグザグに流れているのが玉川上水、一部それに沿って画面右上に伸びる一際太い道が甲州道中、画面やや左、南北方向に伸びる道はほぼ今の環七で鎌倉街道中道支道、その右にやや大きな文字で、縦に、"代田村"の文字が見えるが、ちょうど、"田"の文字がある場所、そこが、川が削った窪地で、ここが足跡らしい。

早速行ってみた。

ダイダラボッチの足跡

写真は谷頭から下流向きを眺めたもの。川跡らしい絶妙な蛇行と、川沿いに並ぶ家々の土台の高さは、ここが、間違い無く川であったことと、その川の谷の深さを感じさせる。

守谷小学校崖上から崖下向き

この写真は守谷小学校南の崖上から川跡と、その向こうの尾根を眺めたもの。崖の高さが、谷の深さが分かる。

この辺り、嘗ては池があったようだ。江戸時代の古地図、目黒筋御場から。

画面ほぼ中央のオタマジャクシがそれ。下北沢で森厳寺川に合流後、北沢川に合流

川はやがて京王井の頭線を抜けるが、そこでもう答えが出てしまった。

赤かった
こちらは支流

一枚目はこの川、二枚目は支流。オレンジ色の水酸化鉄が確認できた。ここで鉄が採れるのである。巨人伝説と産鉄とが繋がった瞬間だった。

目黒川の蛇崩川合流部

北沢川を下り、目黒川に行った。目黒川は何度も来ているが、そういう目で見たことが無かったので、今日初めて気づいたが、そこかしこに水酸化鉄が認められた。目黒川水系は、鶴見川水系同様、産鉄エリアだったのだ。

そういえば代田村の西隣は"赤"堤村。"赤"は酸化鉄の赤、あるいは風化した花崗岩に含まれる鉄の色。目"黒"の"黒"もクロガネから来ているのかもしれない。

追記:
まさか、代田に石棒なんて無いよね?
と、調べてみたら、まさか、まさか、代田八幡にあるようだ。今度、見せてもらおう。

2018年4月7日土曜日

武相国境道、その4, 真光寺川、鶴見川、寺家の名も無き川、黒須田川、大場川、荏田付近早淵川沿いの産鉄地名

武相国境道シリーズ。第一弾は草戸峠から町田駅まで。第二弾は武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(西側)に沿って展開する産鉄地名、第三弾は鎌倉街道沿いの産鉄地名を巡りました。

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もう何となく分かってきたと言いますか、、、
  • 武相国境道沿いには産鉄関係の地名が多い、と、言われていて、
  • しかもそれがヤマトタケルノミコト東征や、坂上田村麻呂の奥州征伐とも関係してそうで、大いにロマンを掻き立てられました。
  • 実際に地図上に産鉄地名をプロットしてみると、確かに多いのですが、ピッタリ、"沿い"ではなく、"周り"と言った方が正しい感じです。
  • プロット後、俯瞰的に眺めていると、何か規則性を感じられるエリアがあったので確認してみたら、最初に見つけたのが武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道沿い、次は鎌倉街道沿いでした。
  • 武相国境沿いに産鉄地名が多く、郡境にも多い。行政境界は尾根であることが多く、古道になることが多い。産鉄があったから、それを結ぶ"道"ができた? 古道の成立要因に産鉄が??? という仮説がむくむくと起き上がってきました。
  • 鎌倉街道沿いにも多い。産鉄が鎌倉街道成立の主要因だったのでは??? と、益々ロマンを掻き立てられたのです。
  • このように一人盛り上がっている中、この2つよりもよっぽど大規模で真っすぐに連なっているエリアがあり、それは、武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(東側)沿いだったので、"これは間違い無い"と、第四弾に設定しました。
  • こうして机上Explorerをじっくり実施した後、実走してみると、第二弾の武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(西側)の時に水酸化鉄を見つけたのは、鶴見川の支流の恩田川の支流の奈良川の支流の熊谷川源流部でした。
  • 第三弾の鎌倉街道沿いでは、日向台付近の恩田川の支流でした。
  • そうなんです。どうやら、産鉄地名は、武相国境とか、郡境とか古道には関係無く、単に、鉄が採れる川沿い、それも、鶴見川水系沿いに分布していたということなんです。鶴見川は武相国境付近を流れてますから、だから、武相国境沿いに産鉄地名が多い、と、こうなったわけです。今になって考えてみれば当たり前なんですが、水酸化鉄だから川なんですね。が、ここに示した経緯の通り、最初にロマン掻き立てられてしまったので、先入観が出来上がってしまいましたね。
で、改めて第四弾に設定したエリアを見てみると、真光寺川、鶴見川、寺家の名も無き川、黒須田川、大場川、荏田付近早淵川沿いでした。



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最初は真光寺川の源流域、真光寺です。ここは真光寺川が削った谷部に人が住み、ほぼ、四方を小高い山に囲まれたこじんまりした可愛いエリアです。

真光寺川の源流近くを訪ねましたが、さほど赤くありませんでした。が、ちょうど桜の時期でもあり、ほっこりと、癒やされました。

飯守神社、武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(東側)を越えた所に、汁守神社と菜守神社もある。古代の膳部が住んでいたところだろう。

こんな素敵な通学路も

元の真光寺だと言われている観泉寺

真光寺エリアを出て直ぐ、真光寺十字路の辺りには、"赤儘("赤"は水酸化鉄から)"、すぐ隣の真光寺川沿いには"砂取り場("砂"は砂鉄から)"がありました。が、川は、赤くはなかったです。

真光寺川沿いに暫く進みます。この辺りは、"金久ぼ"ですが、広袴の調整池を過ぎたところにありました。

赤いです。川そのものというよりは、写真のように、土手から染み出る水に水酸化鉄が含まれているようです。
"金久ぼ"を過ぎ、"上金谷", "銀谷", "柿木坂("柿"は"垣"で、家のことを指し、産鉄に従事する人たちが住んでいた所)", "藤松("藤"は砂鉄を濾す道具を藤の蔦で作ったことから産鉄地名になっている。)"は、すっかり新興住宅地で産鉄の痕跡無し。"藤ノ木", "塞ノ神(塞の神 = サヒ(鉄)の神)"も同様。

鶴見川を渡って三輪エリアに入りますが、そこで、これ。

赤いですね

三輪エリアに入ります。ここは美しいところでした。

高蔵寺の辺りは"桜田("さ"も"くら"も砂鉄の意味)"

高蔵寺のすぐ先は豪農の家で、周辺をきれいに整備していて散策している人が多かった。桜ばかりに気を取られていた所にこの山躑躅、鮮やかな紫できれいでした。

椙山神社の辺りは"藤作"。この日が何やらイベントがあった模様。

椙山神社前の川は、その名も"たたら川"というらしいですが見つからず。

"小金松"を通り寺家エリアに入ります。寺家では前々から行きたかった尾根道を行き、"菅ノ入("菅"は、"州処"で、砂鉄のたまりやすい所、あるいは、菅が穫れる所は砂鉄も採れる所)に向かいました。ここは足利尊氏が通った道と私は推測しています。

所々に桜、ここでランチ。ポカポカで、桜吹雪舞い散る中、最高のランチでした。

車が無ければもっと良い

で、"菅ノ入"では、寺家の田んぼを潤す名も無き川の源流は、水酸化鉄で真っ赤でした。ここで穫れるお米はミネラル分豊富で美味しいはずです。

赤い源流部

寺家を過ぎ、鉄、黒須田エリアに入ります。"黒須田"は、"黒砂"です。まずは"金水谷戸"ですが、雰囲気良くなく早々に退散。"小金岡"を通り、次は黒須田川を遡り、"蔵谷("蔵"は"黒"で砂鉄です。)", "子の神(子の神 = 石棒 = シラ信仰 = 白山信仰)" に向かいますが、黒須田川はこうなってました。


大場川は赤くなく、大場川沿いの"多良ヶ谷"を通り過ぎた先には薬師さんを祀る薬王寺が。別所地名こそ無いが、ここは、奥州俘囚の匂いがしますね。


市ヶ尾から大山道に入り荏田と新石川の産鉄地名に向かいますが、それらは早淵川水系。その早淵川では、その名も"鍛冶"橋で、そこはやはり土手から水酸化鉄がしみ出してました。


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と、いうことで鶴見川水系の、真光寺川、鶴見川本流、寺家の名も無き川、黒須田川、大場川、早淵川と巡りましたが、殆どの川で、1000年前と変わらず、水酸化鉄が認められました。ここで、産鉄されていたのですね。