2017年1月17日火曜日

上海の歴史、虹口老街

虹口鎮の中心地として、清末には十六舗に次ぐ賑わいを見せたという虹口老街。
が、東側は高層マンションが建ち並び、今は昔か。

東漢陽路から虹口老街(北)を望む。東側は高層マンション。

そんな中、辛うじて残っている当時の面影。

虹口老街東側里弄入口、木造住宅が残る。明代か?
清代?
1つポツンと残された住宅、これ以外は一面の更地

しかし、この老街は開発によって無くなったのではない。1937年の第二次上海事変で一面焼け野原になったのだ。

その後建てられた住宅も開発で今無くなろうとしている。

2017年1月7日土曜日

平安の道〜慈覚大師円仁の東京における足跡から

七福神詣でで目黒を廻ろうと思い、改めて目黒のお不動さんのことを調べた所、15歳の慈覚大師円仁が、故郷の下野国から比叡山に向かう途中、この地に泊まり、夢に従い仏像を彫り、この地に安置したのが始まりと言う。808年のことだそうだ。

古道マニアはここで一つ疑問に思うはず。下野から比叡山なら東山道でしょ?808年という時代的にも。

結論から言うとこの理由は分かり切らなかったんですが、新たな発見もありました。

目黒不動龍泉寺は鎌倉街道 中道 新宿御苑ルート沿いなんですね。

もしやと思って慈覚大師円仁開山のお寺を地図上にプロットしてみると、ものの見事に鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートに沿ったのです。(現代地図参照)



  • 渋谷区 宝泉寺
  • 新宿区 宝泉寺
  • 豊島区 正法院
が、鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートに沿っていました。

これだけでは勿論、808年に慈覚大師円仁が比叡山に向かった時の道とは言えませんが、比叡山に行き、修行して、大師となって東国での布教活動をする時に、全く、縁も縁も無い所には行かないだろうと推測すると、鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートを行った可能性も出てくるわけです。

こうなると、鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートは、平安時代に既に存在していたということになります。

龍泉寺から京都向きのルートですが、最終的には古代東海道に接続するんだと思いますが、恐らくは、円融寺を経由したルートだったのではないでしょうか。

この道は円融寺からは見事なまでの直線で古代東海道に接続しています。

それでは目黒に残る平安の道、慈覚大師円仁の足跡を辿るAncient Road Explorerに出発です。

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自宅から滝坂道、太子堂~池尻道と行き、下馬で鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートに接続します。中目黒から環6の一本西の古道を行き目黒のお不動さんに到着です。


お参りを済ませ、円融寺に向かいます。

この通りは地蔵、庚申塔が残っており、古道の趣がありました。


円融寺に到着です。

円融寺の仁王門と釈迦堂。釈迦堂は室町時代の創建。国指定重文。
これは江戸名所図会の円融寺ですが、描かれている道はこのルートのように思えます。

左下から参道に向かう道、途中で左(西)に分かれているこの道が今回のルートと思われる。法華寺とあるが、この時代、日蓮宗に改宗していて、寺の名前も今とは違っていた。