2018年6月10日日曜日

武相国境道、その6, いたち川沿いの産鉄地名

武相国境道シリーズ。第一弾は草戸峠から町田駅まで。第二弾は寄り道シリーズで武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(西側)に沿って展開する産鉄地名、第三弾も寄り道シリーズで鎌倉街道沿いの産鉄地名、第四弾も寄り道シリーズで鶴見川水系に沿って展開する産鉄地名をExploreしました。

武相国境道沿いには産鉄地名が多く、鑪の道ともいわれています。しかしながら地図を細かく見てみると、"沿い"というよりは"周り"と言った方がしっくりくるような分布具合。そう思いながら地図を眺め続けていると、規則性が感じられる分布を幾つか発見。それが、武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(西側)であり、鎌倉街道であり、鶴見川水系だったのです。

が、第四弾の鶴見川水系ではたと気付きます。武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(西側)も、鎌倉街道も、単に、鶴見川水系だということに。産鉄地名の分布に、武相国境も含めて規則性は無く、というか唯一の規則性は鶴見川ということだったわけです。

と、言うことで、第五弾は寄り道せず武相国境道を行きました。行きつつ、分布の規則性というよりは、鉄分の濃そうな、私的に興味深い所に寄り道することとし、横浜市南区別所の産鉄地名を巡りました。

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さて、第六弾は横浜市栄区のいたち川沿いに展開する産鉄地名をExplorerします。


※全体図なので、今回のルートを探す必要がありますが、JR根岸線の本郷台駅を探して頂くと良いです。黒線が武相国境道で、青線がExplorerルートです。赤マーカが訪れた地点です。

城山橋

いたち川に架かる城山橋です。"城山"は"白山"からの転化と言われています。この辺りが嘗て白山と呼ばれていたこと、何故ならば白山神社があったから、と、推測されます。

この白山神社ですが、舒明天皇の御代(624~641年)に、本郷6ヶ村の鎮守として鍛冶ヶ谷神戸に創立したと言われています。

この辺りが嘗て白山神社があった所と言われています。

正中元年(1324年)9月には光明ヶ谷神戸に遷座しました。

白山神社跡です。拝殿に上がる階段と基礎が確認できます。
崖を切り出したやぐらも見られました。

関東大震災で大破し、その後、昭和3年に拝殿と本殿が分離して建立されましたが、その時の拝殿が今の思金神社となります。

思金神社

本殿は、昭和51年10月に、現在地に移転しています。

今の白山神社

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菊池山哉と柴田弘武によれば、蝦夷征討によって移住させられた俘囚たちが住まわされた所を別所と言い、特徴として、白山神社が祀られていること、薬師を本尊とする東光寺、東光院、東照寺などの名を持つ天台寺院があるなどと共に、産鉄地であることが挙げられるそうです。

産鉄遺跡である上郷深田遺跡

この辺りは産鉄地名だけでなく実際に産鉄の遺跡が見つかっています。

白山神社旧社地の昇龍橋

遺跡だけではなく、今でも、鉄が染み出る地質であるようです。白山神社旧社地への参道橋と考えられている、いたち川に架かる昇龍橋で、水酸化鉄が見られました。それにしても濃いオレンジです。

白山神社

これは白山神社境内の片隅にある、恐らくは旧社地にあった祠を移設し一ヶ所に集め祀ったものですが、注目してもらいたいのは左隅にある石棒です。

石棒は縄文時代前期後半に北海道と東北に現れた遺物で、何らかの祭祀目的、信仰対象として製作・使用されたと考えられています。

白山神社にある石棒も東北を意味しているのでしょうか。

ここ横浜市栄区のいたち川沿いには、前回もご紹介したアラハバキ神が御鎮座されています。再登場です。

アラハバキ神

アラハバキ神について、東北から移住した鍛冶集団の神である可能性を栄区は言及しています。

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第五弾の横浜市南区別所では、別所という地名そのもの、白山神社、石棒がありました。少し南に下りますが、武相国境を超えた相模国の横浜市栄区でも、白山神社、石棒、産鉄遺跡、水酸化鉄がありました。やはりこの辺りは、蝦夷征討で移住させられた東北の俘囚たちが産鉄に従事した土地だったのではないでしょうか。

生まれは東京ですが、両親が東北出身である私にとっては、興味が尽きないテーマです。

2018年4月30日月曜日

武相国境道、番外編。世田谷区代田のダイダラボッチ伝説を追う。

私は世田谷区代田に住んでいる。

ここの所、武相国境道の産鉄地名を追っているが、そう言えば、我が地元は"代田"じゃないか。と、いうことで、GWの一瞬の隙きを突いてご近所explore, 世田谷区代田のダイダラボッチ伝説を追おうと思う。

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ダイダラボッチの"ダイダラ"は、"タタラ(鑪)"から来ているという話がある。

あるいは、ダイダラボッチは一つ目、片足で、製鉄では火の温度が極めて重要で、三日三晩目を離してはならず、失明する者も多かったこと、火力を保つ為に風を送る鞴は片足で踏み付けて風を作るので足が悪くなる者も多かったことから、産鉄地ではダイダラボッチを祭っていたとも言われている。

このように、ダイダラボッチは産鉄と関係が深そうだが、一方で、巨人伝説としてのダイダラボッチもある。

産鉄と巨人がどう、繋がっているのか。

製鉄には大量の炭が必要で、山が禿山になるほどだと言い、その様が巨人による仕業だと言われたり、製鉄技術は秘儀だったから、周辺住民にしてみれば、山谷に籠もって、片目片足の人達が、何をしてるのかと思ったら鉄を作り出していて、何とも不思議というか、神秘的というか、そういったことが、架空の存在である巨人と結びついたのか。

いずれにせよ、産鉄と巨人は明確な結び付きの論が無いようだ。

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世田谷区代田の地名の由来はダイダラボッチから来ているらしく、ダイダラボッチの足跡があるとのことだ。つまり、巨人伝説の方だ。

代田の古地図、明治初期

この古地図は明治13年頃のものだが、画面上、東西方向にジグザグに流れているのが玉川上水、一部それに沿って画面右上に伸びる一際太い道が甲州道中、画面やや左、南北方向に伸びる道はほぼ今の環七で鎌倉街道中道支道、その右にやや大きな文字で、縦に、"代田村"の文字が見えるが、ちょうど、"田"の文字がある場所、そこが、川が削った窪地で、ここが足跡らしい。

早速行ってみた。

ダイダラボッチの足跡

写真は谷頭から下流向きを眺めたもの。川跡らしい絶妙な蛇行と、川沿いに並ぶ家々の土台の高さは、ここが、間違い無く川であったことと、その川の谷の深さを感じさせる。

守谷小学校崖上から崖下向き

この写真は守谷小学校南の崖上から川跡と、その向こうの尾根を眺めたもの。崖の高さが、谷の深さが分かる。

この辺り、嘗ては池があったようだ。江戸時代の古地図、目黒筋御場から。

画面ほぼ中央のオタマジャクシがそれ。下北沢で森厳寺川に合流後、北沢川に合流

川はやがて京王井の頭線を抜けるが、そこでもう答えが出てしまった。

赤かった
こちらは支流

一枚目はこの川、二枚目は支流。オレンジ色の水酸化鉄が確認できた。ここで鉄が採れるのである。巨人伝説と産鉄とが繋がった瞬間だった。

目黒川の蛇崩川合流部

北沢川を下り、目黒川に行った。目黒川は何度も来ているが、そういう目で見たことが無かったので、今日初めて気づいたが、そこかしこに水酸化鉄が認められた。目黒川水系は、鶴見川水系同様、産鉄エリアだったのだ。

そういえば代田村の西隣は"赤"堤村。"赤"は酸化鉄の赤、あるいは風化した花崗岩に含まれる鉄の色。目"黒"の"黒"もクロガネから来ているのかもしれない。

追記:
まさか、代田に石棒なんて無いよね?
と、調べてみたら、まさか、まさか、代田八幡にあるようだ。今度、見せてもらおう。

2018年4月23日月曜日

武相国境道、その5, 別所の石棒と公田のアラハバキ

武相国境道シリーズ。第一弾は草戸峠から町田駅まで。第二弾は寄り道シリーズで武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(西側)に沿って展開する産鉄地名、第三弾も寄り道シリーズで鎌倉街道沿いの産鉄地名、第四弾も寄り道シリーズで鶴見川水系に沿って展開する産鉄地名を巡りました。

前回の記事でも説明しましたが、産鉄地名は、武相国境、郡境、古道沿いというよりは、(ある意味)"ただ単に"鶴見川水系沿いに展開しているということが分かりましたので、今回はそういった寄り道はせず武相国境を行きます。



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今回は武相国境道と大山道との接続点からスタートです。東名を潜り、旧上瀬谷通信施設エリアに入ろうとしたのですが、当初予定していた所はロープが張られており入れず、予備として考えていた他2箇所も入れずで大きく迂回、ようやく、エリアに入れましたと思ったら、ここ、想像を超えるだだっ広さ!、何も無さ!!、で、こんな所、東京のすぐ隣にまだあったのか!!!、と、本当にビックリしました。

50mmレンズでは広大さが今一つ伝わってないですね。。。

上瀬谷通信施設から瀬谷市民の森に入り往時のままの姿を残す武相国境道を楽しみ、

美しいです。


街に出、三ツ境を過ぎ、ズンズンと漕いでいきます。にしても尾根走りは気持ちが良いです。思っていたよりも早く万騎ヶ原のこども自然公園に着きました。ここにも往時のままの姿を残す武相国境道があります。

似たようなアングルになってしまいましたが

武相境道の説明版

が、ゴルフ場で道は遮断されています。大きく迂回し、横浜新道を越え、境木に到着です。ここは気持ち良いですね。尾根だから見晴らしも良いしモニュメントもあり非常にキレイにされていて。

きれいな所でした。

江戸期東海道の権太坂には行かず、その少し先を右に折れ南下します。現在の国道1号線を過ぎ、あっと言う間に別所に到着です。で、ここが今回のハイライトでした。

別所の古地図。北の道で別所に入り、南の道で武相国境道に復帰しました。南の道は鎌倉街道下の道です。

寄り道して良かった。

写真は拝殿の脇にある石碑等が寄せられたところなんですが、右から二番目に注目してください。石棒が祭られています。

別所という地名、鎌倉街道を境に隣町が最(塞)戸、そこに白山神社、と、揃いに揃っています。で、石棒でした。

更に、その先の鍛冶ヶ谷には、アラハバキ神がご鎮座です。

こちらは丸石でしょうか。にしても雰囲気あり過ぎです。

と、鉄分の多い旅でした。

2018年4月7日土曜日

武相国境道、その4, 真光寺川、鶴見川、寺家の名も無き川、黒須田川、大場川、荏田付近早淵川沿いの産鉄地名

武相国境道シリーズ。第一弾は草戸峠から町田駅まで。第二弾は武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(西側)に沿って展開する産鉄地名、第三弾は鎌倉街道沿いの産鉄地名を巡りました。

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もう何となく分かってきたと言いますか、、、
  • 武相国境道沿いには産鉄関係の地名が多い、と、言われていて、
  • しかもそれがヤマトタケルノミコト東征や、坂上田村麻呂の奥州征伐とも関係してそうで、大いにロマンを掻き立てられました。
  • 実際に地図上に産鉄地名をプロットしてみると、確かに多いのですが、ピッタリ、"沿い"ではなく、"周り"と言った方が正しい感じです。
  • プロット後、俯瞰的に眺めていると、何か規則性を感じられるエリアがあったので確認してみたら、最初に見つけたのが武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道沿い、次は鎌倉街道沿いでした。
  • 武相国境沿いに産鉄地名が多く、郡境にも多い。行政境界は尾根であることが多く、古道になることが多い。産鉄があったから、それを結ぶ"道"ができた? 古道の成立要因に産鉄が??? という仮説がむくむくと起き上がってきました。
  • 鎌倉街道沿いにも多い。産鉄が鎌倉街道成立の主要因だったのでは??? と、益々ロマンを掻き立てられたのです。
  • このように一人盛り上がっている中、この2つよりもよっぽど大規模で真っすぐに連なっているエリアがあり、それは、武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(東側)沿いだったので、"これは間違い無い"と、第四弾に設定しました。
  • こうして机上Explorerをじっくり実施した後、実走してみると、第二弾の武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(西側)の時に水酸化鉄を見つけたのは、鶴見川の支流の恩田川の支流の奈良川の支流の熊谷川源流部でした。
  • 第三弾の鎌倉街道沿いでは、日向台付近の恩田川の支流でした。
  • そうなんです。どうやら、産鉄地名は、武相国境とか、郡境とか古道には関係無く、単に、鉄が採れる川沿い、それも、鶴見川水系沿いに分布していたということなんです。鶴見川は武相国境付近を流れてますから、だから、武相国境沿いに産鉄地名が多い、と、こうなったわけです。今になって考えてみれば当たり前なんですが、水酸化鉄だから川なんですね。が、ここに示した経緯の通り、最初にロマン掻き立てられてしまったので、先入観が出来上がってしまいましたね。
で、改めて第四弾に設定したエリアを見てみると、真光寺川、鶴見川、寺家の名も無き川、黒須田川、大場川、荏田付近早淵川沿いでした。



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最初は真光寺川の源流域、真光寺です。ここは真光寺川が削った谷部に人が住み、ほぼ、四方を小高い山に囲まれたこじんまりした可愛いエリアです。

真光寺川の源流近くを訪ねましたが、さほど赤くありませんでした。が、ちょうど桜の時期でもあり、ほっこりと、癒やされました。

飯守神社、武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(東側)を越えた所に、汁守神社と菜守神社もある。古代の膳部が住んでいたところだろう。

こんな素敵な通学路も

元の真光寺だと言われている観泉寺

真光寺エリアを出て直ぐ、真光寺十字路の辺りには、"赤儘("赤"は水酸化鉄から)"、すぐ隣の真光寺川沿いには"砂取り場("砂"は砂鉄から)"がありました。が、川は、赤くはなかったです。

真光寺川沿いに暫く進みます。この辺りは、"金久ぼ"ですが、広袴の調整池を過ぎたところにありました。

赤いです。川そのものというよりは、写真のように、土手から染み出る水に水酸化鉄が含まれているようです。
"金久ぼ"を過ぎ、"上金谷", "銀谷", "柿木坂("柿"は"垣"で、家のことを指し、産鉄に従事する人たちが住んでいた所)", "藤松("藤"は砂鉄を濾す道具を藤の蔦で作ったことから産鉄地名になっている。)"は、すっかり新興住宅地で産鉄の痕跡無し。"藤ノ木", "塞ノ神(塞の神 = サヒ(鉄)の神)"も同様。

鶴見川を渡って三輪エリアに入りますが、そこで、これ。

赤いですね

三輪エリアに入ります。ここは美しいところでした。

高蔵寺の辺りは"桜田("さ"も"くら"も砂鉄の意味)"

高蔵寺のすぐ先は豪農の家で、周辺をきれいに整備していて散策している人が多かった。桜ばかりに気を取られていた所にこの山躑躅、鮮やかな紫できれいでした。

椙山神社の辺りは"藤作"。この日が何やらイベントがあった模様。

椙山神社前の川は、その名も"たたら川"というらしいですが見つからず。

"小金松"を通り寺家エリアに入ります。寺家では前々から行きたかった尾根道を行き、"菅ノ入("菅"は、"州処"で、砂鉄のたまりやすい所、あるいは、菅が穫れる所は砂鉄も採れる所)に向かいました。ここは足利尊氏が通った道と私は推測しています。

所々に桜、ここでランチ。ポカポカで、桜吹雪舞い散る中、最高のランチでした。

車が無ければもっと良い

で、"菅ノ入"では、寺家の田んぼを潤す名も無き川の源流は、水酸化鉄で真っ赤でした。ここで穫れるお米はミネラル分豊富で美味しいはずです。

赤い源流部

寺家を過ぎ、鉄、黒須田エリアに入ります。"黒須田"は、"黒砂"です。まずは"金水谷戸"ですが、雰囲気良くなく早々に退散。"小金岡"を通り、次は黒須田川を遡り、"蔵谷("蔵"は"黒"で砂鉄です。)", "子の神(子の神 = 石棒 = シラ信仰 = 白山信仰)" に向かいますが、黒須田川はこうなってました。


大場川は赤くなく、大場川沿いの"多良ヶ谷"を通り過ぎた先には薬師さんを祀る薬王寺が。別所地名こそ無いが、ここは、奥州俘囚の匂いがしますね。


市ヶ尾から大山道に入り荏田と新石川の産鉄地名に向かいますが、それらは早淵川水系。その早淵川では、その名も"鍛冶"橋で、そこはやはり土手から水酸化鉄がしみ出してました。


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と、いうことで鶴見川水系の、真光寺川、鶴見川本流、寺家の名も無き川、黒須田川、大場川、早淵川と巡りましたが、殆どの川で、1000年前と変わらず、水酸化鉄が認められました。ここで、産鉄されていたのですね。

2018年2月18日日曜日

武相国境道、その3, 鎌倉街道上道沿いの産鉄地名

武相国境道シリーズ、第一弾は草戸峠から町田駅まで。第二弾はそのまま武相国境道を行かず、産鉄地名の並び方に何か規則性が感じられる、だから背景がありそうに思える所として、武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道に沿って展開する産鉄地名を巡りました。恩田川支流の熊ヶ谷川の源流部に当たる横浜市青葉区奈良の鍛冶谷戸では、赤い水酸化鉄を見られ、ここが嘗て産鉄の現場だったのだと実感出来ました。

今回は、町田駅からの武相国境道の続きを行こうと考えてたんですが、事前机上シミュレーションしていたところ、やはり、気になる産鉄地名の並びを発見、今回もまた武相国境道の寄り道シリーズで、鎌倉街道沿いの産鉄地名を巡ることにしました。


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鶴川駅まで輪行。金井入口から金井に入ります。"金井"はエリアが広い。どの辺りが中心地だったのか、どの辺りで産鉄してたのか。

現代地図と古地図を見るとどうやら金井村の代官屋敷辺りが中心地で産鉄エリアでもあったようです。

明治13年古地図、歴史的農業環境閲覧システムより

金井村代官屋敷付近には、笹胡、笹胡坂があります。"笹"は、砂鉄を現す"サ"を重ねたもの。この尾根道のTopから笹胡、笹胡坂を眼下に大山方面の眺望はこうなっていました。

ちょうど写真中央辺りが笹胡、笹胡坂

少し離れた所にあるのは、"湯袋"。"湯"は溶かした鉄、"袋"は"吹く"です。

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木倉川が作った谷に下り、八幡神社のある尾根へ再び上り、本町田に向かいます。鎌倉時代の宿場町ですが、今はその面影は一切ありませんでした。

が、この先で恩田川を渡るんですが、恩田川と並行に走る支流がすごかった。



赤いです。水酸化鉄です。

その後、菅原神社から鎌倉街道を折り返し再び北上します。

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いつ来ても本当に美しい薬師池公園です。この辺りから非常に"鉄臭"が濃くなっていきます。

野津田薬師堂
薬師堂がある薬師池公園の谷戸はこのように非常に急で深い谷になっていて、水酸化鉄を多く含む水源だったのかもしれない。

直ぐ東の尾根から鶴見川にかけては、"袋"という字。

鶴見川に架かる"袋"橋

鶴見川を渡って上の原グラウンドの辺り、ここは"カナクソ"。カナクソは"鉄滓"で、砂鉄から鉄分を取り出す際に同時に生成される不純物金属。恐らく鉄滓を捨てた所か。

上の原グラウンドは御覧の通りの広大な谷戸にある。

軍事戦略鎌倉道を更に北上、"湯"船はどの辺りかはっきりしませんでしたが、小野路川とその支流が流れていました。川は赤くなかったですが。

塞ノ神には寄り忘れ、次は金子田です。

小野路川が流れるこの辺り、駐車場の辺りが金子田。

更に北上を続ければ、別所、東光寺があるエリアへと続きます。

右手に霊峰大山、千手観音、真ん中の街並みが別所です。

こうしてここから別所を眺めると、坂上田村麻呂率いるヤマト政権に敗れ、奴隷として遠いこの地に強制的に連れてこられ、過酷な産鉄作業に従事した奥州俘囚が、薬師さんと大山に見守られながら生きていたのがせめてもの救いであってほしいと思いました。

以上です。

2018年2月6日火曜日

武相国境道、その2, 武蔵国・南多摩郡と都築郡の郡境道沿いの産鉄地名

前回から始まったこのシリーズ。前回は触れませんでしたが、武相国境道の周辺には、産鉄に関連する地名が多数認められるとのことです。

まずは、古い地名も含め調べ上げた結果をご紹介したいと思います。尚、谷戸めぐりというサイトを参考にさせていただきました。いつも楽しく拝見させて頂いております。


黒線が武相国境道です。自転車で行く時のルートでもあるので、実際の国境道から外れる場合もありますが、ほぼ、トレースしています。

マーカーが、産鉄地名です。が、紫は無視してください。やはり自転車用です。赤と青がありますが、両方とも、産鉄地名です。

今回調べたのは、武相国境道に沿った、町田市、横浜市だけだったので、他と比べて多いのかどうかは分かりませんが、とにもかくにも、これだけの産鉄地名があったということは間違いが無いわけです。

武相国境道を、ただ、行くよりは、この、"たたらの道"というテーマを持った方がより楽しめそうなんですが、自転車でここをExploreすることを考えると、全部は行ってられないわけです。今行っても、ただの交差点になっていたり、公園になっていたり、住宅街になっているだけということもあります。って言うか、殆どはそうでしょう。

と、いうことで、地図を眺めていたわけです、どこか行くべきところ、行けるところは無いか、と。そうしたところ、あることに気付きました。産鉄地名が有るエリア、無いエリアがあるわけですが、有るエリアでは、地名がきれいに並んでるような気がしたんです。


どうでしょう、そんな感じがしませんか?

で、草戸峠から順番にチェックしていったら、最初に気付いたのはここでした。


地形図で見た所、更に面白いことに気付きました。


きれいに尾根に乗っていたんです。よく見たら境界線もあり、ここは、南多摩郡・都築郡の郡境道(今の町田市・横浜市市境道)だったんです。

武相国境道は東京湾と相模湾の分水嶺だから尾根道。その武相国境道周辺に産鉄地名が多い。その支尾根となる南多摩郡・都築郡郡境道に沿って産鉄地名が並んでいた、そういうことになります。

俄然、モチベーションが上がってきました。今回は、武相国境道から南多摩郡・都築郡郡境道をExplorerしました。

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町田駅まで輪行。町田駅から武相国境道、現町田街道を行きます。途中、金森の交差点。ここも産鉄地名ですが、ただの交差点でフォトジェニックじゃないのでスルー。でもこの辺りには金山神社が二つもあり、鉄分が高いです。

町田市辻で246を左折、ここから南多摩郡・都築郡郡境道です。まずは、アスレチックコースの裏手にある、"大袋(”袋”は、"吹く"から来ている。) "に行きましたが、ここはアスレチックの私有地となっていて進入不可。退散します。

御覧の通りのアスレチックフィールド。双体道祖神があるが、古地図を見ると写真に写る池から、更にその先に見える大山道の尾根に上がる道があり、集落はこの写真に見える風景の背後に続いているから、ここは集落外と集落の境界に当たり、だからここに置いたのだと思う。

住宅街の武相国境道を行きます。つくし野駅の辺りで線路を越える為に迂回し、恩田川に出て、"東光寺跡(西方の阿弥陀如来に対し、薬師如来は東方の教主であり、薬師如来は瑠璃光如来とも称えられたので、"東"方の瑠璃"光"で"東光"の代名を持った。奥羽俘囚の長であった藤原基衡建立の毛越寺吉祥堂の本尊は薬師如来。慈覚大師円仁は、俘囚教化の為、東国を巡錫して仏堂を建立したが、その時、毛越寺と同じ薬師如来を本尊とする寺を開山した。だから、俘囚移配地には東光寺がある。俘囚は、産鉄の為、東国に移配された。だから東光寺は産鉄地名。) ", "吹上("吹く"から) "と行きますが、フォトジェニックじゃないのでスルー。先を行きます。道はやがてダートとなり、西側は緑地で崖。雪融けでグチャグチャの中、暫く行くとこの緑地は西側が大きく開けます。

左のピークはお馴染み大山です。今日は富士山は見えませんね。それにしてもここから眺めると町田街道も尾根だったということが良く分かります。ビルが並んでるのが町田街道ですが、ここ、南多摩郡・都築郡郡境道尾根から見ると、一旦下がって又上がってますから。

この緑地は山吹緑地というのですが、由来は、山村と吹上の両方に跨るから。つまりここも"吹上"なんですね。フォトジェニックな"吹上"が撮れました。

(ようやく良いランチ場を見つけられたということでここでランチです。握り飯を食べていると下から風が吹き上げてきます。"吹上"は、製鉄の際に火力を強める為に風を吹く事からきているのではなく、この風のことかとも思いました。)

先に進みます。

ここが尾根道であることが否が応でも分かる谷戸の風景
こういう快適なところももちろんあります。

で、辿り着いたのは"鍛冶谷戸(これはそのものズバリ、"鍛冶") "です。ここは熊ヶ谷川の源流部で、公園になっていて、源流部まで行くことができました。で、ここが良かった。そこでの写真です。

源流の一つ。写真中央黒ずんだところが水が滲み出しているところ。鉄ですね。
幾つも源流があるのだがここもその一つ。ちょうど、源流最初の一滴が落ちるところを取ったのだが分かるかな?! 周辺の土が赤いですね。鉄です。
だから川もこのように赤い。鉄です。

794年に、坂上田村麻呂に敗れ、関東に連れてこられた俘囚たち。彼らが担ったたたら製鉄の面影が、1200年の時を超えて、感じられました。

ここで作ってたんですね、鉄を。

この後は、"大田平(だいたたら←たたら)"ですが、マンションになっていましたのでスルー。これにてExplorerを完了しました。

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地図を見ると、今回のように、歴史も自転車も楽しめるところはそうそう無さそうですが、何とか、次回以降も楽しみたいと思います。