2020年11月8日日曜日

武蔵国郡境を行く、都筑郡の続き

前回都筑郡では、都筑郡の郡域を、下図のように、今思えばやや強引に、想定しました。

左上から、まず南南東にグレー太線→黒線→黒線が東へ→黒線二股に分かれるもそのまま東へ→黒線海へここは帷子川河口。次に東へピンク太線→南の黒線→紫線→ピンク太線→黒線北→短いピンク太線南へ→黒線東南東→短くピンク太線→紫線→一瞬黒線→紫線で海へここは鶴見川河口。

そして、橘樹郡が多摩川の郡であるように、都筑郡は鶴見川の郡とし、この都筑郡郡域の中にある赤線、これは、ほぼ、早渕川~鶴見川のラインなんですが、この赤線とその赤線とほぼ並行している赤線のすぐ北にある黒線(これは都筑郡と橘樹郡の郡境で、鶴見川と多摩川の分水嶺), この両線に囲まれたエリアが麻生郷(荘、庄)で、ここが、中央氏族としての忌部氏、部民阿波忌部氏が海路進出し、麻栽培の開発をして、大和王権に麻布を献上していた、都築郡の中心エリアだという話をしました。

しかし、そうなると、都筑郡中心エリアの南西と南東が、中心エリアより大きく、放置されてしまいます。

素直に若干の違和感というか、ここはどんなエリアなんだ?, ここにもstoryがあるだろう、という興味が、探求心が出てきてしまいました。

と、言うことで今回は、都筑郡の続きとして、麻生郷の南西側をexploreしたいと思います。

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都筑郡郡域の一番左上部分、そこは、立野郷と推定しました。

立野郷の "立野" は、立野御牧の立野で、この辺り = 小山田地区は、馬に関する地名が多く残り、

小山田公園内の野球場とサッカー場があるこの窪地は、"馬場窪"。この地形は確かに馬場にはうってつけですね。

こちらは、"馬駆"。牧場というと大草原を思い浮かべますが、こうした谷戸も、谷戸入口に冊をしてしまえば、残りの三方は尾根に囲まれてますから、好適地でした。ここ馬駆はご覧の通り谷戸の詰め部がこの通りの断崖絶壁で、正に、好適地でしょう。

また、この辺りを領していた小山田有重は、別当と呼ばれていました。御牧の管理者も別当と言います。

小山田有重の初見は1155年の大蔵合戦ですから、立野牧成立が909年なので、時期がズレますが、立野牧を御牧のまま、あるいは私牧として引き継いだのが小山田氏だとすれば解消されます。

嘗ての小山田城、大泉寺

小山田神社、小山田有重の妻を祀る。

テーマには関係ありませんが、この辺りは東京都内ですがホントに癒やしエリアです。

稲刈り後、干してました。

そしてこれは知る人ぞ知る、なんですが、大泉寺前のバス停です。

何ともレトロなバス停、現役です。

しかし残念なことにこのバス停、exploreした翌日に取り壊しになったようです。

画面やや右に取り壊しの張り紙が。それと、バス停内の広告の電話番号に注目して頂くと分かりますが、相当に古いですよ。

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癒やしの小山田を後にし、恩田川と鶴見川の分水嶺を行きながら、恩田川沿いの杉山神社を訪ねましょう。

木もれ陽の七国峠

薬師公園、ここでランチ

前回で、杉山神社とは?, ということについても一定の解を得たように思ってます。

杉山神社は、中央氏族としての忌部氏と阿波忌部氏の、麻栽培開発の為の早渕川・鶴見川遡上進出に伴うもので、この地域を麻生郷と言う、そういう内容でした。

ですから早渕川と鶴見川沿い以外の杉山神社は、、、

逆に言えばそういう感じなんですが、でも、恩田川沿いにも杉山神社はあります。

成瀬杉山神社

この成瀬の杉山神社は、鶴見川水系最上流とのこと。

いやいや実はここまでが杉山神社の勢力圏、忌部氏の勢力圏、麻生郷はここまでだったんだ、、、ということなのかと言うと、そうではないように思うんです。

この成瀬杉山神社、風土記では、図師の修験寺である大蔵院持ちと記載されています。

図師の修験大蔵院はもう無いようですが、図師修験大蔵院で検索すると、小山田の白山神社や図師の熊野神社、町田駅前の熊野神社などがヒットしてきますし、小山田有重との交流もあったようです。

はい。つまり、杉山神社勢力が恩田川に沿ってここまで進出してきたというよりは、小山田勢力の範囲がここまでに及んでいた、そう考えた方が良いように思います。

恩田川と鶴見川の分水嶺は玉川学園で遮断され、つまらない道を行きます。しかも、折角登ったのに降るを繰り返す、イヤな道です。

桜台上交差点でようやく尾根道に入りますが、住宅街のやはりつまらない道でした。

246, 東名とやり過ごし、着いたのはここです。

西八朔杉山神社、両部鳥居が神仏習合の名残でしょう。すぐ隣は極楽寺(真言宗豊山派)ですし。

論社の1つです。

その根拠と、ここは本命ではないとする根拠は説明済なので省略しますが、実際に訪れてみて思ったのは修験ですね。

つまらない住宅街の尾根道からこの杉山神社がある南西斜面に降りると西光寺緑地があり、その辺りから空気がガラッと変わりまして、杉山神社まで続いています。

西光寺は真言密教の秘儀、火祭の風習が残っていますが、西光寺緑地で行うそうです。

ここは和名類聚抄の都筑郡針圻郷です。

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如何でしたでしょうか。

麻生郷の南西側、北部は立野郷で、地形や地名に立野牧の痕跡が感じられました。

南部は八朔郷で、論社杉山神社はありますが、それ以外、八朔郷とは、を感じさせる痕跡は見つかりませんでしたし、杉山神社も、後世の遺跡だと思いますから。

全く触れませんでしたが、このエリアには店屋郷(町谷)もあります。ただの交差点なので寄りませんでしたが。

次回は都筑郡の南東部をexploreしたいと思います!!

ではまた

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