2017年5月2日火曜日

上海の歴史、法華鎮路

上海古地図、1800年代(租界前)

この古地図は上海の古地図で、年代的には租界前と思われます。

良く目を凝らしていただくと、横方向真中縦方向上に、丸の中に”上海縣城”という文字が確認できます。円状の堀と城壁に囲まれたここが正に上海県城で、堀は今は埋め立てられ、人民路と中華路になってます。城壁もほんの一部しか残ってません。この辺りのことは以前ご紹介したように思います。

で、その県城の丸の真ん中辺り、9時の所から西へ筋が伸びていると思いますがこれは川です。同じように、その川より少し北に、同様に西へ川が伸びてますがこれは蘇州河です。

蘇州河を黄浦から目で西へ追っていくと、”静安寺”の文字が確認できます。そのまま左へ続くと、”法華寺”の文字が確認できると思います。

今日ご紹介するのは、この法華寺です。

970年ですから宋の時代に開山されました。興廃を繰り返したものの、明代中頃には参拝客が集まるようになり、すると参拝客目当ての商売人が集まり、繁華街が形成されました。清の時代には、県城西の大鎮として繁栄の頂点に達したとのことです。

今でも、”法華鎮路”としてその名を残しています。

道は延安路から淮海路に続いています。
延安路の接続点には1669年創業の薬屋さんがありました。

1669年開業の薬屋さん、同仁堂

法華寺があった地点にはこのようなモニュメントもありました。

モニュメント1
モニュメント2、上の遺跡説明に、”浜”とありますが、中国語で”浜”とは川のこと。今は埋め立てられた川を再現しようとしています。

今やメインストリートを西隣の新華路に譲った感がありますが、まぁ良いじゃないですか。

新華路、それにしてもこの季節のフランス租界は美しい

以上です。

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