前回の続きです。
いちいちlink先参照するの面倒でしょうから今号にも地図を。
前回言いましたが、赤ルートが断然、大化の改新から771年までの間の古代東海道だと思うんですが、まずは青ルートを行きます。理由は単純、赤ルートは名越切通があって、web上の写真を見ると、道幅が狭く、どうも、薮と蚊の猛攻に耐えられそうもなかったからです。一方、青ルートは、朝比奈切通は山道ですが、道幅が広く、少なくとも藪漕ぎは不要と推定され、選んだのです。
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藤沢まで輪行。藤沢から鎌倉郡衙までは赤ルートで行きます。
鎌倉郡衙までの赤ルートを俯瞰すると、腰越と長谷に青マーカー(奈良平安期寺社)が集中しているのが分かります。頼朝鎌倉入りの前から、腰越と長谷はそれなりの集落だったことが分かります。
まずは腰越です。たくさん寺社があるんですが、下記2ヶ所に立ち寄りました。
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片瀬諏訪神社下社、ナント!!! 養老七年(723年)創建の古社です。本社同様、上下両社有ります。本社以外では珍しいそうです。 |
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こちらは上社、距離は離れていないんですが、上社は山の上にあります。 |
江ノ電と共に小動で海っぺりに出る手前には義経腰越状で有名な満福寺があります。
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744年開山 |
いやぁ、久し振りに海に来ましたが、やっぱり良いですね。チャリにボード積んで海に向かう人やウェットや水着でボード持って街歩いている人見ると、自分が波乗りしていた頃を思い出します。スローな感じが良いですね。
で、地図だけを見ていた時は、この鎌倉郡衙までの赤ルート、海っぺり過ぎて津波や台風時の高潮なんかに耐えられないんじゃないか、だから紫ルート(大仏坂切り通し)の方が正しいんじゃないか、と、思ってましたが、実走してみると嘗ての古代東海道、今のR134は、海レベルから十分高さがありますね。やはり、奈良平安期の寺社の分布を見てみても、正式ルートは赤ルートで、紫ルートは災害時の緊急ルートだったのではないか、そう思いました。
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かの有名な、鎌倉高校前のビーチ。いやぁ、に、しても、波乗り再開したくなったな。 |
稲村ケ崎で海に別れを告げ、極楽寺を抜け、長谷に向かいます。平安時代後期創建の御霊神社参道との辻には創業300年の力餅家さんがあります。
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権五郎力餅を頂きました。 |
次に立ち寄ったのは鎌倉最古の古社、甘縄神明宮です。
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ナント!!! 710年創建 |
長谷を抜けたら六地蔵で左折、鎌倉郡衙エリアに入ります。
鎌倉郡衙跡を意識したのか、それにしてもいつ見ても立派な、御成小学校です。
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この北隣が鎌倉市役所。1300年前の郡衙と同じ場所に市役所が建つなんて。 |
そして今は誰も振り返りませんが、坂上田村麻呂が801年に創建した巽神社です。
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今は地味な感じ |
さて、三連休で観光客がごったかえす鶴岡八幡宮を抜け、杉本寺エリアに行きます。
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相変わらず苔の石段が美しい、734年開山の杉本寺 |
その先、十二所からはいよいよ朝比奈切り通し、武相国境越えです。チャリをで行こうと思ってました。Web上の記事でもチャリで行っている方たちも見えましたし。が、行ってみると、入口にバイクとチャリ両方ダメとの看板が。仕方無く、チャリを置き、徒歩で峠に向かいます。
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朝比奈峠の切り通し。峠の向こうは武蔵国。に、しても、結構な高さ、切り通してますね。切り通したのが泰時の時代(1224~1242)ですから、その前はとてもじゃないけど船は曳けませんね。また、川もかなり細いです。 |
峠からは折り返し、チャリに戻り現代の金沢街道を峠越えです。きつかった・・・35度超えの中の峠越えは。
武蔵国に入ってからは、あまり見るものないんですが、これが青ルートの古代東海道の可能性の根拠である、931年創建の雷神社です。
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雷神社 |
でもこの雷神社、よく見ると武相国境を超えた所にあるんですね。
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歴史的農業環境閲覧システムより。分かりにくいですが、画面左下にある、3つに分かれている薄い青線が武相国境なんですが、左上から来て、そのまま素直に右下に消えていくのではなくて、右上、雷神社(青マーカー)の方に来るのが武相国境です。右下に消えていくのは三浦半島縦断尾根で、相模湾と東京湾の分水嶺です。 |
そして終点、夕照橋です。
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夕照橋 |
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まず、鎌倉をこんなにじっくりと走ったのは初めてだったので、35度を超える猛暑でしたが楽しめました。
で、青ルートが古代東海道かどうかと言えば、アリなんじゃないかと思いました。泰時の時に切り通したわけですが、その前から道自体はあって、より、物資を運び易くする為に切り通したんだと思います。道が無いところに、急に切り通しを作り、切り通しが出来たからそこを通す道を作った、というのは無理があるような。
青ルートも峠近くまで川なので、地図だけ見てた時は赤ルート同様、船越だったのかなと思ってましたが、実際行ってみると、既述のように、難しそうでした。
次は緑ルートの予定です。
では
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