- 品川御殿やま、春、28景
- 月の岬、秋、82景
- 品川すさき、秋、83景
- 南品川鮫洲海岸、冬、109景
1858年 |
2019年、当時の場所だとただビルが写るだけなので、少し御殿山を登ったところで撮影 |
ん、、、でも、確かに桜は描かれてますが、どこか寂し気。御殿山に向かう道はグレーで、御殿山は削られ削られし、土も露になっているから、でしょうか。
実際、御殿山は削られました。その土はどこへ行ったかというと、お台場です。
品川御殿やまと台場、明治13年頃 |
因みに・・・今も台場は残ってるんです。現在の地図です。
2019年、きれいに残ってますね。黄色いピンを打ちましたが分かりづらいですかね?、ちょうど、北品川駅の右、"東品川"と、書いてあるエリアです。 |
その、台場付近を描いたのが、月の岬と品川すさきです。
月の岬、1858年 |
月の岬、2019年 |
品川すさき、1858年 |
品川すさき、2019年、分かりますか?, 画面中央の瓦屋根が洲崎弁天、利田神社です。なので手前の広めの歩道は目黒川ですね。 |
月の岬は、品川宿で一番繁盛していた妓楼、土蔵相模の一室からの江戸湾の風景と満月です。
に、しても、構図が天才的ですね。スゴイな。
その土蔵相模ですが、品川すさきの画面左下にも描かれています。
この2景は確かに連番なんですが、連作でもあるように思います。
俯瞰の構図が品川すさきで、土蔵相模にグーッとズームアップしていくと、月の岬の光景が写り出す、そんな感じです。
それからもう1つ。月の岬と品川すさきには台場が描かれてません。月の岬は構図的な面もあるかもしれませんが、品川すさきの洲崎弁天の向こうには、台場があってもおかしくありません。
にも関わらず、描かれていないのは、単に時期的な問題と思われます。ですので、描かれた順番としては、月の岬・品川すさき→品川御殿やま、なのだと思います。
この3景はほぼ同じ場所で描かれてますが、月の岬と品川すさきは品川宿の賑わいで、品川御殿やまは、広重は何を描きたかったのかということを考えると、月の岬と品川すさきの品川宿の賑わいを対比で用いて、海外列強の侵略の脅威といった幕末情勢、長く続いた江戸という平和な時代の終わり、もっと言えば諸行無常、なのかもしれません。
この10年後、江戸が終わります。
南品川鮫洲海岸は、少し離れます。大森の辺り。
何故ここが名所かと言うと、画面の多くを占める海苔ですね。
生類憐れみの令が出た時、江戸と浅草中心部では漁が禁止となってしまいました。江戸の漁師は横浜や木更津に移住したらしいんですが、浅草漁師は、浅草で自然採取していた海苔の適地だと見て、多摩川河口の大森に移住したのです。
その後、浅草漁師は、大森で、海苔の養殖に成功します。大森は養殖海苔発祥の地なのです。だから名所だったんですね。
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そもそも品川は、武蔵国の国湊として大いに栄えた地域です。平安期以前の寺社を見ても、
しかし、一点腑に落ちないことがあるんです。
マーカに説明を書いてないので分かりづらくて恐縮ですが、画面上やや右の黒が荏原神社、その西赤が貴船神社、荏原神社の下青が品川寺、その下グレーが寄木神社(旧地), その下緑が常行寺(旧地), その下青が来福寺です。
※それ以外の2つはここでは無視して良いです。
全体としては、目黒川と、その西にある2つの川の扇状地ですね。
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そもそも品川は、武蔵国の国湊として大いに栄えた地域です。平安期以前の寺社を見ても、
- 寄木神社、ヤマトタケル(〜西暦113年)伝説
- 荏原神社、709年創建
- 品川寺、806~810年開山
- 常行寺、850年開山
- 来福寺、990年開山
荏原神社 |
品川寺 |
しかし、一点腑に落ちないことがあるんです。
地形図 |
マーカに説明を書いてないので分かりづらくて恐縮ですが、画面上やや右の黒が荏原神社、その西赤が貴船神社、荏原神社の下青が品川寺、その下グレーが寄木神社(旧地), その下緑が常行寺(旧地), その下青が来福寺です。
※それ以外の2つはここでは無視して良いです。
全体としては、目黒川と、その西にある2つの川の扇状地ですね。
各寺社の位置を個別に見ていくと、荏原神社以外は、微高地も含め、それなりに高いところ、大水の影響を受けにくい所にあります。
一番古い、よって陸地が最も後退していた時期に出来た荏原神社が、最も低い所に鎮座してます。
本当にここにあったのかな?!
と、調べてみたら、旧地は貴船神社ということでした。貴船神社と荏原神社はほぼ同じ由緒で、やはり元は同じ神社と思われます。
709年に、奈良の丹生川上神社から高龗神を勧請し、創建したということですが、丹生川上神社の祭神は罔象女神の神と書いてあります。違う神なのかなというとそうではなく、共に、水神です。
貴船神社の位置を見ると、扇状地が始まる岬の上にありますから、水神様としては好適地ですね。
平安期には、延喜式東海道が、正に貴船神社があった内陸の尾根部を通ってました。目黒川が運ぶ土砂によって陸地化が進むに連れ、生活域も徐々に海側にせり出していき、江戸期には品川を東海道が通り、品川宿ができ、広重が描くに至ったわけです。
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