2018年12月17日月曜日

武相国境道、その10, 完結編

武相国境道シリーズ

第一弾は草戸峠から町田駅まで。第二弾は武蔵国の南多摩郡と都筑郡の郡境尾根道(西側)に沿って展開する産鉄地名、第三弾は鎌倉街道沿いの産鉄地名、第四弾は鶴見川水系に沿って展開する産鉄地名を巡りました。

そうなんです。

完結編なので、前回のこの話の説明から間が空いてますし、改めて説明しますが、武相国境道は産鉄の道、それをテーマとしたexplorerだったんです。

武相国境道周辺には産鉄地名が沢山あり、ヤマトタケル東征の道とも重なるので、ヤマトタケルは鉄を求めて、あるいは産鉄の方法を教えながら、武相国境道を行ったのではないかというロマンある話もあります。

あるいは東北人とすれば、坂上田村麻呂の東征・征夷によって産鉄に従事させる為、連れて来られた同胞の悲しみに触れる旅でもあります。

第五弾は横浜市南区別所の産鉄地名を巡り、第六弾はいたち川沿いの産鉄地名を巡りました。そして、第七弾は東光寺や白山神社などが嘗てあった舞岡をexplorerし、第八弾は瀬上市民の森、金沢市民の森、横浜自然観察の森と公園に連なる尾根道をトレッキングで巡りました。第九弾ですが、その名も"金沢", "釜利谷"の、その名もその名も"白山道"をエクスプローラーしました。

で、今回は、いよいよ、完結編です。

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金沢八景まで輪行、R16から県道23と行き、鼻欠け地蔵に到着です。

前々回の記事から

所で前々回言うべきでしたが、武相国境は、三国山に端を発し、朝比奈切通しまでは、相模湾と東京湾の分水嶺を忠実にトレースしてきました(町田付近の境川が武相国境になったのは太閤検地以降、このテーマの時代 = 産鉄 = 概ね平安時代は分水嶺と思われる。)が、朝比奈切通し直前にクイッと東の支尾根に逸れてしまいます。その道は鼻欠け地蔵の所に出てくるんですが、鼻欠け地蔵から東は入江だったそうですから、そこをゴールとしたかったんだとしたらまぁ、納得しないこともないんですが、また分水嶺に戻るんですよね。じゃあ何故ここで東に逸れたのか?謎ですね。

赤線が武相国境です。図中央南北の薄青線が三浦半島主尾根 = 相模湾と東京湾の分水嶺で、現在の鎌倉・横浜市境です。図の上(北)から来た武相国境道は、一度東に逸れた後(赤線と県道23の交点が鼻欠け地蔵さん),
また戻ってますよね(少し切れちゃってるけど)。

さて、鼻欠け地蔵さんの真正面の道を行きます。侍従川の支流が作った谷戸の道ですから、最後、横横を越える時はえらい急で長い階段を上ります。三信住宅に入りますがここも急ではありませんが長い上り。ようやく武相国境尾根道への取り付き口に到着です。

に、しても急

パッと見、80度くらいあんじゃないかと思いましたが、だとしたら登れないですもんね。ギリギリ、手を使わなくても登れるくらいです。事前学習時はいつものようにチャリ担ごうと思ってましたが、とても無理!止めといて良かったです。

快適なシングルトラックが続きますが、

登ってみたら快適な道

これに行く手を阻まれます。

この看板の向こうに武相国境尾根が

古道エクスプローラーしていてこれで4回目ですね、米軍に阻まれるの。

折り返して、来た道を戻り、再び横横を越えて、折角上ったのに下り、三信住宅入口を右折、横横を潜り、もう一度横横を潜り、横横沿いに上りです。上り切った所に公園があり小休止。この公園の横にある階段で、もう何回目だ?もう一度横横を越え、山道に入るんですが、ここも、チャリは止めときました。

長い長い階段を登り、横横を越えて、墓地の脇を抜けて、山道に入るとこういう道もありながら、

掘割状の

こんな、見つけにくい道標に従い先を行きます。

地図を見ながらであれば大丈夫。私も、行き過ぎたかな? と思って振り返ったら見つけました。

すると、こんなシングルトラックや、

笹のトンネル

こんな眺望を経て、

奥に海がうっすら見える。に、しても電線の交差点ですな。

丁字路に到着します。ここを左が武相国境の続きで、右はその道の両サイド(東西)共に相模国ですが、現在の横須賀・逗子市境です。なので左は現在で言えば横須賀・横浜市境となり、3市の境ということになります。

丁字路

横須賀・横浜・逗子市境で折り返して、チャリを置いた公園に戻り、六浦南小を目指します。この学校の裏から尾根道にアプローチするんです。

で、今回はここがハイライトでした。

左の金網越しに住宅地が見える。

尾根がホソ!結構な細尾根なんです。切り立った壁のようで、ここは頑張ってチャリ担いだんで乗車してみたんですが、細過ぎて無理でした。が、その分、眺望は良いですね。

六浦の海が見える。
武相国境尾根が良く分かる写真です。尾根が切れてます。向こうに見える山は和田山です。尾根が切れた所に京急とR16が通ります。切り通したんですね。
明治13年頃の古地図。赤線が今回走った武相国境道です。左から2番目の黄色マーカが上の写真撮影ポイントですが、本当の国境は薄青線ですね、私が行ったルートも古道(荷車小径)ですが。これを見るとやはり切り通してないですね。昭和5年に京急はこの路線開通したようですからその時に切り通したんでしょう。
切り通された武相国境尾根の断面。写真左に、横須賀市と横浜市金沢区の境界標。

と、ここで、六浦南小に行く頃から降り出した雨が本降りになってきたので、Goal目前でしたが、止む無く中断としました。でも殆どGoalだからこれで完結編です。

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武相国境シリーズ、ようやく完結です。1年掛かりましたね。9月までは半分上海人でしたから、ということもあると思いますが。でも面白かったです。いつの日か、まとめをしたいと思います。

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