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2017年12月7日木曜日

上海の歴史、南翔

清代同治年間に、日華軒が古猗園で南翔大肉饅頭を売っていました。が、客たちはいつも饅頭の皮をちぎっては池の中に投げ入れ魚の餌にしていました。

そこで日華軒は、饅頭の大きさを小さく、皮を薄く、具を多くつめるように改良を重ね、大いに繁栄しました。

日華軒

清朝末期、西太后は突然悪寒がして、胃の調子が悪くなりました。御膳房は西太后の体調に合わせて体の温まる山菜・海鮮の珍味を西太后が住む体和殿の御膳に届けましたが、西太后はそれらを食べようとしませんでした。

そこで、太監は、上海からある大臣が手土産として持参した南翔小籠包を思い出し、蒸し直してそれを西太后に勧めてみました。西太后は白玉でつくった小さな饅頭のようなものをじっと見て、一つ口へ運んでみました。すると、直ちに胃の調子が良くなり食欲が出て、この味は天下逸品だ!と称賛した後、小籠包を一皿全てたいらげてしまいました。西太后は暫く興奮ぎみでしたが、宮仕えの女官に墨と筆を用意するよう命じ「天下第一包(天下一の点心)」と半紙に生き生きと書きつけました。

日華軒の小籠包

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南翔は、古くは槎渓といわれ、南朝梁天監4年(505年)に白鶴南翔寺が建てられ、南翔鎮は寺を由来に名づけられ、今日まで1500年の長い歴史を有します。

今はその名を留雲禅寺と言う
そこかしこで祈祷が
大雄殿

南翔寺の門前町として栄えた南翔。今も続いて賑やかです。








週末の小旅行に、是非

2017年12月1日金曜日

上海の歴史、泗泾

前回に引き続き、同じ松江区内にある泗泾をご紹介します。

前回ご紹介した嘗ての松江府城、その前は華亭県城が、唐代(618~907)からの歴史があることはご紹介済みですが、同じ松江区内にあるここ泗泾はどうなのか。

北宋の時代(960~1127)に村は起こったといいます。村の名は会波村。南宋の時代(1127~1279)には七間村と変わり、元代(1271~1368)には、当地の外波泾、洞泾、張泾、通波泾の4つの泾が交わる所という意味で、泗泾という名となりました。泗泾は千年の歴史を持つ古鎮なのです。。。

と、まぁ、こういうことなんですが、ここで終わったら面目無い話で、なので、脳内Explorerを続けますが、一時代前、ここから南西に数キロの松江中山中路に華亭県の県衙が出来た。一時代後、ここに泗泾鎮が起こった、ということで、では何故、ここなのか。

色々と考えたくもなるんですよね。

地図を見れば、泗泾溏は南へと続き松江府中心地へと達します。



更にこの水路は南へ行くと黄浦江に接続しています。と、いうことは太湖に繋がっているということになり、太湖~長江という水路の大動脈沿いに位置していたから、泗泾という村が起こったと考えることが出来るのではないでしょうか。

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926年、泗泾に陸宝庵が移転してきて、呉越王から妙法金字蓮華経を賜るなどしてこの辺りは一大仏教エリアとなっていった。967年には泗泾塘を下った浦汇塘沿いにある七宝教寺が開山し、1008年には、今は福田净寺と名を変えた東田禅寺が開山した。

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太湖、黃浦河、泗泾塘、浦汇塘と繋がる水運の大動脈。その河畔に村が出来、寺が出来、そうして、泗泾鎮が成立していったということになりそうです。

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鴨、上海のローカル地区に行くとこの時期よく見られる光景
清代か民国時代の建築
その2
安方塔
福田浄寺
福連橋
橋上から
江達南路

以上

上海の歴史、松江

今ちょうど大河で直虎を放送してますが、その中で、井伊谷の新たな産業として綿花を栽培するというシーンがありました。

日本における綿花栽培はあの頃から本格化したと言われていますが、その前は輸入に頼っていました。

どこから輸入していたか?

主に明と朝鮮でした。ナント!!! 明の時代(1368~1644)、松江の総生産量の90%は日本に輸出されていたそうです。

私は仕事で上海に一年の半分、滞在しています。今や日本経済は中国無しでは考えられませんが、明の時代から、日本と中国は密接な結び付きがあったんですね。

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今の松江は上海市松江区で、その中心地は地下鉄9号線と松江中山中路が交差する辺りでしょうか。車は常に渋滞し、道行く人も多く、非常に賑わっています。

”松江”という地名が登場するのは元の時代(1271~1368)の”松江府”ですが、唐の時代(618~907)から、この辺りは華亭県と呼ばれていて、華亭県には華亭県城があり、県衙は松江中山中路付近と言われていますから、唐の時代から変わらず中心地だったということになります。

雲間第一楼、嘗ての松江府城中心部に再建された。下に、清代の松江府城地図を載せたが、ほぼ中央に、”松江府”と記載があるのがこれだ。

華亭県城はそのまま松江府城となりましたが、地図を見るとその痕跡が見事に残っています。



薄紫のポリゴンが堀と城壁に囲まれた松江府城のエリア。南と、南から東門へ至る堀は残っています。又、東門には東門村という地名が、北門にも北門街という地名が、南門にも南門村という地名が残っています。東西を貫く松江中山中路は、嘗ての東西のメイン水路でした。

清代の松江府城

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"痕跡"こそ残れど、嘗ての松江府城内はすっかり現代の町並みと化し、フォトジェニックさは見られませんが、松江中山中路を西進し、西門を過ぎ、沈泾塘を秀野橋で渡ると、明清時代の建造物が今も未だ残る松江老街に至ります。

清代の建築

しかし何と言ってもハイライトは大倉橋でしょう。

大倉橋、明代の建築
大倉橋前の石畳
橋上から東を望む
川沿いを行く

川沿いに数百メートルしかない老街ですが、逆に、全く観光地化されておらず、地元の人達の生活が垣間見れます。

今回は遠慮して生活の様子を撮れませんでしたが、再訪し、チャレンジしてみたいと思いました。

以上

2017年10月5日木曜日

上海の歴史、真如寺

正殿全景

南宋の嘉定年間だから1208〜1224年に、今の場所より少し東側に万寿寺として開山したのが始まり。

正殿、ズームアップ。この日は若い親子が熱心にお祈りしていました。

その後、元代に入り1320年に今の場所に移動し、名前も真如寺とした。

太平天国の乱で正殿を除く建物がことごとく破壊されたが、正殿の柱や梁は元代のものが残るという古刹です。

境内、非常に清潔。禅寺らしい。

若いお坊さんが修行している姿が垣間見れたり、境内はとても清潔で手入れも行き届いていて、気持ちが良かったです。

2017年5月13日土曜日

上海の歴史、嘉定県城

嘉定は、秦の時代は会稽郡婁県に属し、隋・唐の時代は蘇州昆山県に属した(昆山も古いんですね。)。1218年(嘉定10年)平江府昆山県東部が分割されることとなり、元号を取って嘉定県となった。嘉定の始まりです。

上海中心部から地下鉄で行ける水郷古鎮の1つということで、行ってきました。



地図を見てお分かりの通り、嘉定県城は当時のお堀がまだ残っています。

また、若干斜めですが、東西南北に水路が走り、その交差点が水市(港)として発展しました。そこに1205~1207年に法華等が建立され、その北に県治が、南には学営が、東には城隍廟が設置され、県城が形成されていきました。

地下鉄を嘉定西駅で降り、mobikeをgetしてまずは西門へGo!!!
西門に向かう途中は西大街。実はここが主目的地でした。ここは当時の姿が最も良く残るエリアだからです。

西大街に西からアプローチして直ぐの風景、石畳や明清民国時代の家が残っている。

この橋は老朽化により渡れなくなっている。恐らく明時代。

西大街の、西門を出て直ぐの辺りは、やはり水路が十字していてコメの集積地点であり、更に、北に行くと1,500年の歴史を持つ護国寺もあって、城内を凌ぐ盛況振りだったと言われています。

護国寺、1,500年の歴史を持つ。
確かにこの辺りは商店が建ち並び、往時の面影を感じられる。

お堀は残っているが水門と城壁は西と南にしか残っていない。

恐らく上半分は再構築だが辛うじて残っている西水門
蔦に覆われ見つけにくい城壁。結構残っているが放置されている状態か。もったいない。
南水門
南城壁

天子南面す

の通り、中国の城は南面してます。だから南からのアプローチが正解。そして大抵はまず学営、つまり孔子廟があります。

天気も良くて清潔で非常に良かったです。

南大街で中心部に向かいます。

法華等と徳富橋、法華等は1205~1207年建立、徳富橋も明かな。
登龍橋から東方向の水郷古鎮の典型的風景

県治はもう残ってません。最後に城隍廟です。


実は法華等のある中心部だけなんですね、水郷古鎮らしいところは。でも城隍廟や孔子廟は非常に清潔だし人もさほど多くなく快適でした。西大街は往時の面影が残っていて、全体としてお勧めです。

以上です。

2017年5月6日土曜日

上海の歴史、新場古鎮

新場古鎮が形成されたのは宋の時代の1128年頃とされている。この辺りは製塩が盛んな地域で、塩田がたくさんあった。新しく塩田を開いた土地、、、ということで”新場”と名付けられたらしい。

すっかり観光地化されているものの、今も石畳の道は往時のままだし、何と言ってもここはまだ生活の場で、そこがそそられるところである。

江南古鎮の典型的風景、新場大街が川に架かる洪福橋

新場大街は南に行くに従い観光地から生活の場へ


茶を干す

行きかう人々を生活の場から眺める住民

野菜売り、近郊の農家だろう。これは違うが空豆がたくさん売られていた。旬だから。

ちまきその一

ちまきその二

良い所でした。