2017年5月13日土曜日

上海の歴史、嘉定県城

嘉定は、秦の時代は会稽郡婁県に属し、隋・唐の時代は蘇州昆山県に属した(昆山も古いんですね。)。1218年(嘉定10年)平江府昆山県東部が分割されることとなり、元号を取って嘉定県となった。嘉定の始まりです。

上海中心部から地下鉄で行ける水郷古鎮の1つということで、行ってきました。



地図を見てお分かりの通り、嘉定県城は当時のお堀がまだ残っています。

また、若干斜めですが、東西南北に水路が走り、その交差点が水市(港)として発展しました。そこに1205~1207年に法華等が建立され、その北に県治が、南には学営が、東には城隍廟が設置され、県城が形成されていきました。

地下鉄を嘉定西駅で降り、mobikeをgetしてまずは西門へGo!!!
西門に向かう途中は西大街。実はここが主目的地でした。ここは当時の姿が最も良く残るエリアだからです。

西大街に西からアプローチして直ぐの風景、石畳や明清民国時代の家が残っている。

この橋は老朽化により渡れなくなっている。恐らく明時代。

西大街の、西門を出て直ぐの辺りは、やはり水路が十字していてコメの集積地点であり、更に、北に行くと1,500年の歴史を持つ護国寺もあって、城内を凌ぐ盛況振りだったと言われています。

護国寺、1,500年の歴史を持つ。
確かにこの辺りは商店が建ち並び、往時の面影を感じられる。

お堀は残っているが水門と城壁は西と南にしか残っていない。

恐らく上半分は再構築だが辛うじて残っている西水門
蔦に覆われ見つけにくい城壁。結構残っているが放置されている状態か。もったいない。
南水門
南城壁

天子南面す

の通り、中国の城は南面してます。だから南からのアプローチが正解。そして大抵はまず学営、つまり孔子廟があります。

天気も良くて清潔で非常に良かったです。

南大街で中心部に向かいます。

法華等と徳富橋、法華等は1205~1207年建立、徳富橋も明かな。
登龍橋から東方向の水郷古鎮の典型的風景

県治はもう残ってません。最後に城隍廟です。


実は法華等のある中心部だけなんですね、水郷古鎮らしいところは。でも城隍廟や孔子廟は非常に清潔だし人もさほど多くなく快適でした。西大街は往時の面影が残っていて、全体としてお勧めです。

以上です。

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