2017年3月3日金曜日

上海の歴史、十六舗

1292年の上海県成立の頃から、十六舗は商業港として大いなる賑わいを見せていた。

租界時代にあってもその賑わいは衰えを見せなかった十六舗も、今や王家码头路より北は高層マンションが建ち並び、往時を見る影も無い。

外倉橋街と王家码头路の辻から北を望む

それでも何か面影はあるか、あるいはその変化をこの目で確かめようと、地下鉄で小南門に向かった。

董家渡路の風景。この木造は清の時代かな?! 董さんちの渡への道

辛うじて当時の面影が残る董家渡路も、外倉橋街から東は一面の更地。

董家渡路から東を望む

そんな中、ポツンと建ってるのは上海歴史建築の董家路天主堂。

董家天主堂

外倉橋街は布地の街。布地屋さんがズラッと並ぶ。

カメラが曲がってるんじゃないですよ。この木造も清かな。78と76とあるけど、どこが堺?

外倉橋街

しかし、上海県城でも思ったが、華界の人は本当によく働く。働く中国人を最後に。

なんか、良かったな、今回の散歩は。

2017年2月4日土曜日

御殿峠、鑓水峠パート1

ようやく、御殿峠と鑓水峠です。

よこやまの道関連の、例えば軍事戦略鎌倉道とか奥州古道 長坂道とか、宮田先生のお示し頂いている古道はほぼ行き尽くしたのがもう2, 3年前だから、それ以来、行きたいと思ってたんですが、冬しか行けないですよね。基本、山なんで。藪と蚊を考えると。

上海出張とかあってなんだかんだで行きそびれてたんですが、ようやくです。

道案内とか御殿峠の解説とかは先輩方に譲るとして(私も勉強させていただきましたから), 今回はそういったネット上の記事にはあまり書かれていないこととして、以下の二点をフィーチャーしたいと思います。

  • 武田軍、北条小田原攻めルート
  • 深大寺周辺、及び大磯周辺渡来人の高麗郡移住ルート


武田軍、北条小田原攻めルート

1569年8月、武田軍は、甲斐を発ち、韮崎、佐久、碓氷峠、安中を経て氏邦の鉢形城を攻め、氏照の滝山城を攻め、御殿峠を南下して、相原、橋本、上溝、原当麻、勝坂、新戸と東に大きく迂回しながら南下し、相模川を渡り、岡田、厚木、金田、三田、妻田、国府津、前川、酒匂と進み、いよいよ小田原城を包囲した。。。

と、いうことのようです。

御殿峠は5kmに満たないコースなんで、なんとか、他のコースと組み合わせて長く出来ないかな、と、思ってたんで、御殿峠を中心に、南は小田原まで、更には、武田軍撤退ルートも繋いで、北は氏照の滝山城までのコースとしたいと思います。

深大寺周辺、及び大磯周辺渡来人の高麗郡移住ルート

武田軍の小田原攻めルートは橋本から大きく東に迂回しますが、御殿峠からの古道はそのまま南下し、当麻で相模川にぶつかります。相模川を南下すれば平塚、平塚からは古代東海道で大磯に辿り着きます。

一方、深大寺から多摩川を遡って拝島に至り、拝島から御殿峠に繋がる古道を北上すれば高麗に至ります。

つまりこのルートは、深大寺と大磯から渡来人が716年に高麗郡に移住したルートなんじゃないかと思うんです。

これまたロマン溢れるではないですか。拝島から先、高麗まで繋ぐルーティングとしたいと思います。

それでは出発です。

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全体としてすごく長いルートなので、今回は御殿峠で、帰り道として絹の道を使ってみました。

まずは御殿峠です。

想像よりも掘割が状態良く迫力をもって残っていたので感動しました。良かったです。

落ち葉フカフカのシングルトラック、最高です。

想像より状態良く残ってますね、掘割が。

ここも良く残ってます。ここは迫力ある。

日本閣の辺りで旧16号に切り通され、古道は寸断されます。日本閣は関係者以外立ち入り禁止で先に進めず。仕方なく、旧16号を行き片倉まで。片倉からは絹の道で折り返しました。


ここも掘割状になっていて、明治の絹の道以前の古道だったことを想像させます。

小泉家

走り足りなかったので帰りは奥州古道で唐木田まで。

おまけの一枚。いつもの。


2017年1月17日火曜日

上海の歴史、虹口老街

虹口鎮の中心地として、清末には十六舗に次ぐ賑わいを見せたという虹口老街。
が、東側は高層マンションが建ち並び、今は昔か。

東漢陽路から虹口老街(北)を望む。東側は高層マンション。

そんな中、辛うじて残っている当時の面影。

虹口老街東側里弄入口、木造住宅が残る。明代か?
清代?
1つポツンと残された住宅、これ以外は一面の更地

しかし、この老街は開発によって無くなったのではない。1937年の第二次上海事変で一面焼け野原になったのだ。

その後建てられた住宅も開発で今無くなろうとしている。

2017年1月7日土曜日

平安の道〜慈覚大師円仁の東京における足跡から

七福神詣でで目黒を廻ろうと思い、改めて目黒のお不動さんのことを調べた所、15歳の慈覚大師円仁が、故郷の下野国から比叡山に向かう途中、この地に泊まり、夢に従い仏像を彫り、この地に安置したのが始まりと言う。808年のことだそうだ。

古道マニアはここで一つ疑問に思うはず。下野から比叡山なら東山道でしょ?808年という時代的にも。

結論から言うとこの理由は分かり切らなかったんですが、新たな発見もありました。

目黒不動龍泉寺は鎌倉街道 中道 新宿御苑ルート沿いなんですね。

もしやと思って慈覚大師円仁開山のお寺を地図上にプロットしてみると、ものの見事に鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートに沿ったのです。(現代地図参照)



  • 渋谷区 宝泉寺
  • 新宿区 宝泉寺
  • 豊島区 正法院
が、鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートに沿っていました。

これだけでは勿論、808年に慈覚大師円仁が比叡山に向かった時の道とは言えませんが、比叡山に行き、修行して、大師となって東国での布教活動をする時に、全く、縁も縁も無い所には行かないだろうと推測すると、鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートを行った可能性も出てくるわけです。

こうなると、鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートは、平安時代に既に存在していたということになります。

龍泉寺から京都向きのルートですが、最終的には古代東海道に接続するんだと思いますが、恐らくは、円融寺を経由したルートだったのではないでしょうか。

この道は円融寺からは見事なまでの直線で古代東海道に接続しています。

それでは目黒に残る平安の道、慈覚大師円仁の足跡を辿るAncient Road Explorerに出発です。

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自宅から滝坂道、太子堂~池尻道と行き、下馬で鎌倉街道 中道 新宿御苑ルートに接続します。中目黒から環6の一本西の古道を行き目黒のお不動さんに到着です。


お参りを済ませ、円融寺に向かいます。

この通りは地蔵、庚申塔が残っており、古道の趣がありました。


円融寺に到着です。

円融寺の仁王門と釈迦堂。釈迦堂は室町時代の創建。国指定重文。
これは江戸名所図会の円融寺ですが、描かれている道はこのルートのように思えます。

左下から参道に向かう道、途中で左(西)に分かれているこの道が今回のルートと思われる。法華寺とあるが、この時代、日蓮宗に改宗していて、寺の名前も今とは違っていた。

2016年12月29日木曜日

上海の歴史、南市(上海でも古地図、古道), パート2

(続きです。)

復興路を渡って光晵路を行きます。ここは南市の南北のメインストリートらしい。

でもこのレベル。。。

復興路から南側はまだ政府の手が入ってないみたい、、、って言うかこの時やってたようです。だからただでさえ汚いのに益々汚いですね。

因みに、前回記事の復興路より北の区域が漆喰塗り直されてきれいになってた件ですが、あれは政府が実施してます。費用も政府が出してます。その代わり、有無言わせないんですけどね。


これはどうでしょう。

恐らく民国の時代だと思います。

ところで、「民国の時代」って分かりますか?

日本で学校で教えないからな。中華民国のことです。辛亥革命から共産党に内戦で敗れるまでの時代。


これはもしかしたら木造で、だとすると清の時代かもしれません。


橋家路に着きました。ここは、商店街ですね。夕方だったので賑やかです。


ここは歴史遺産ですね。徐光啓が住んでた、と、いうことは明末の建物です。しかし、保護してる割には放置だから汚いな。なんか張り紙してあってもうすぐ壊されちゃうかな。


折り返しで兪家です。石庫門が残ってます。


良い感じの通りですね。よく見ると軒先で爺さんが椅子に座ってます。


折り返して又橋家路。石庫門が多く残ってます。



最後に梅家街。


どうでしたか?

上海のイメージとは程遠い、でもこれがReal上海です。ちょうど100年くらい時が止まっている感じです。

と、いうと、三丁目の夕日的な感じがするんですが、実際、復興路から北は漆喰が塗り直されてきれいになってましたから、そんな雰囲気にならないこともないんですが、現実としては、上海の他の区域と比べると、結果的にスラム街のような感じなんですよね。観光客も来ないから珍しいし、生活が軒先に溢れるので、言ってみれば他人の庭先に入るようなものですから、きれいな格好して一眼構えて、というのは、総合的には、あまりお勧めしないです、観光としては。書いときながら、ですが。

2016年12月28日水曜日

上海の歴史、南市(上海でも古地図、古道), パート1

上海県城古地図東半分、1841年頃

上海県城古地図西半分

この古地図は南市、つまり、上海県城内の1841年頃(アヘン戦争の真っ最中)の古地図で、二本実線は水路で、一本点線がfoot pathだ。

西半分は現代地図と見比べると何となくはっきりしないが、東半分は割とはっきり分かる道が残っていて、それが下の現代地図の赤線だ。


拡大しないと分からないので、拡大して確認していただければと思うが、四牌樓から東西姚家に行く道、東街なんかは明瞭だ。これが分かると位置的に学院路が分かってくる。古地図には通りの名は未記載だが。同様に、光晵路が分かり、兪家と梅家街は古地図に記載アリだから分かって、すると橋家が分かる。

と、いうことで、今回は、上海でも古地図、古道ということで進めたい。

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まずは方浜からの四牌樓入口。このような門が残ってます。


八百屋さん。地べたに野菜置いてますが、こんな感じです、どこも。


多分、個人的に、でも商売として洋服のお直しなんかをやってるんだと思う。

これは商売だけど、上海の人はこうして家の軒先に椅子持ってきて座るの好きみたいです。よく見る。

でも注目してもらいたいのはこのおばちゃんたちの左。パイプに豚バラ、腸詰め干してます。上海のこの季節の風物詩。


このおっさんは料理中。この南市の古い住宅は、共同住宅なんですが、風呂、トイレ、流しは共同で、外にあります。

このおっさんの場合は、軒先が好きというわけではなく、これしか方法が無いのです。


四牌樓路から西姚家、東姚家に入りましたが、マンションがあるだけでつまらない道だったのでスルー。東街に入りました。ここは嘗ての白物家電中古品屋さん通りだったんですが、全部無くなっちゃいました。汚い通りだったし、偽物も多く販売されていたので、政府に整理されたんでしょう。

で、残っていたチャリ屋のおっさん。軒先&椅子&昼寝、王道を行ってます。


で、このおっさんの家の隣の隣。地震が無いから大丈夫なんだろうけど。。。


学院路に入りました。学校は無いのに、何故、学院路なのか。恐らく、ここに嘗て文廟があったからだと思ってます。因みにこの通りには嘗て県治もあり、南市のメインストリートだったんだと思う。

四牌樓、姚家、東街と来ましたが、写真でも分かると思いますが、パッと見、きれいなんですよね。以前来たときはもう汚かったんですが、通りに面した側は漆喰を塗り直してきれいになってます。

学院路もそうだったんですが、ふと、上を見上げると・・・・・


そんな学院路には似つかわしくない車で最後締めます。

続きは次回


2016年12月26日月曜日

上海の歴史、外灘

広東路を抜けると一気に視界が開ける。

私はいつもここで左折する。

顔を左に向けるとそこには朝日を浴びた近代建築群。外灘だ。




週末の朝、この光景を見ると自分が上海半分、東京半分の生活をしていて、上海でも自分のリズムで生活できていることを実感し満足する。

さて、外灘は建築様式を見るとイギリスっぽさ満点だが、意外にも、日本と深い関わりのある建物も少なくない。

まずはこの広東路と中山東路の角にあるのは日清汽船。三菱の御大将、岩崎弥太郎が作った会社だ。


次は台湾銀行。その名の通り台湾の銀行だが、台湾が嘗て日本の統治下にあった頃の建物だ。写真では見えづらいがその奥には三井、三菱、住友の三大財閥銀行も並んでいる。


横浜正金銀行。横浜の神奈川県立歴史博物館は元横浜正金銀行。その上海支店だ。


横浜正金銀行の北隣、北京路と中山東路の角という当時の一丁目一番地に陣取るのは、嘗てのジャーデン·マセソン商会。この会社の長崎代理店がグラバー商会だ。ジャーデンが無かったら、維新は無かった。


さて、この辺りで顔を右に向けよう。黄浦江の対岸、浦東地区には打って変わって新しい高層建築が聳え立つ。栓抜きのような形をしているのは森ビルで、その右、建築中(この写真を撮った時は。今はすっかり完成している。)の世界一の高さを誇るビルのエレベータは日立だ。こちらにも日本の影が。


前に進もう。川風が気持ち良い。黄浦江の蘇州河との合流点の先は日本郵船。ここは嘗ての長崎⇔上海航路の発着場。芥川龍之介もここで上海に上陸した。


日本関係はひとまずこれでお終い。

左に目を転ずればGood View. ブロードウェイマンション、外白渡橋、英国領事館、上海郵政ビルだ。


私はいつもここで折り返す。体も温まってきた。汗が噴き出す。

南へ

共同租界とフランス租界の間には共同施設、気象台がある。


ここから南はフランス租界だ。入っていきなりこの建築。アールデコの極み。初めて見た時は、ごく最近の建築とばかり思っていた。しかし、旧イギリス租界(共同租界)との違いに驚く。正に、建築博覧会だ。


フランス租界の終わりは東門路。ここから先は華界。1200年頃から貿易港として栄えた中心はここ十六舗だったが、今は影も形も無い。


さて、広東路まで戻ってアパートに帰ろう。ちょうど一時間。これから帰って洗濯して買い物行って晩飯作りです。